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323.タルカス 吹奏楽版を聴いて考えた

2012.8.25


 日々、吹奏楽で管弦楽曲を演奏することの意義を見出そうと考えている私です。過去にも、#173#174のようなことを考えております。

 さて、今回 EL&Pの『タルカス』の吹奏楽版CDを購入し、聴いて考えたことなどを述べてみたいと思います。 
 EL&Pの『タルカス』については、吉松隆 編の管弦楽版を2010年3月14日東京オペラシティコンサートホールにて藤岡幸夫指揮 東京フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴いており、同ライブCDも購入しております。この時点で、吹奏楽で演りたいなどと考えておりますねぇ。

 吹奏楽版『タルカス』は、佐渡裕指揮 シエナ・ウインド・オーケストラの演奏で、編曲は吉松隆の管弦楽版に基づいて狭間美帆が編曲したものです。吉松隆の管弦楽版の時点で管楽器がかなり活躍する編曲になっていたので、吹奏楽版にしても違和感は大きくないかなと考えていました。

 ということで、聴いた感想です。演奏の表現としては、皆さん好みがあると思いますので、単純にオーケストラと吹奏楽の比較という観点でのものです。

・弦楽器の音の立ち上がりのシャープさは管楽器にはない。
 やはり、息を入れてから管が響くまでには、タイムラグがあるということか。弦楽器は、弓が動き出した瞬間には発音していると思えるのです。
・弦楽器群のスペース感が吹奏楽では出せない。
 弦楽器は、ステージ上にパートごと面で配置されています。たとえば第1ヴァイオリンが6プルト12人いるとすれば、その面積があるわけです。このシエナ・ウインド・オーケストラの場合、第1クラリネットは3人で、面積というより、3つの点ですね。第1ヴァイオリンがそのまま第1クラリネットに置き換わるわけではないでが、やはり大きな違いでしょう。面から出てく音と、幾つかの点から出てくる音では、響きとかスペース感が違いますよね。
 やはり、弦楽器群の表現能力というものは大変すばらしいものなのです。

 吹奏楽には、オーケストラを超える特徴(それが吹奏楽で管弦楽曲を演奏することの意義になると思うのです)はないのかと考えつつ、CDのライナーノートを読んでみると次のようなことが書いてありました。

(前略)
 よく、吹奏楽は「オリジナルはもちろん、マーチやクラシックから、ジャズやポップスまで、何でもこなせる」と言われる。確かにそのとおりで、あまりに器用すぎるので、かえって怪しささえ口にする人もいる。しかしまさか、佐渡裕が吹奏楽でEL&Pを指揮する日が来ると、予想した人がいただろうか。こういう驚きを体験できるのなら、そして、こんなユニークな構成のアルバムを聴けるなら、吹奏楽は怪しくてけっこうじゃないか、これからもどんどん、驚くべきことをやって、輝く怪しい魅力を爆発させてほしい ――― そう言いたくなるのである。富樫鉄火(音楽ライター)

 吹奏楽の特徴は、「怪しさ」ですか。
 確かに、怪しいものに惹かれる人は多いですし、妙に納得できたりしますねぇ。
 ということは、私のやったベートーヴェンの全交響曲吹奏楽編曲というのもかなりの怪しさを持っているんじゃないかと、、、


 先日それとは別に、ふと思ったことがありました。
「吹奏楽って、プラモデル、ミニチュアみたいなものなんじゃないかな。」
と。
 本物として世の中に存在する物(自動車、飛行機、船舶など)をスケールダウンした物、あるいは本物が存在しなくても架空の物(SFの乗り物など)でもあるでしょう。
 プラモデル、ミニチュア製作は立派なホビーであります。自動車のプラモデルを一生懸命作っている人に、「本物の自動車を作ればいいのに。」とか「偽物を作って喜んでいる」と思う人は、いないですよね。というようなことに思いを巡らせて、
「吹奏楽は、オーケストラのミニチュアなのかなぁ。」と思ったのでありました。

 ただ、プラモデルの場合、自動車なら1/24、1/20、飛行機なら1/144、1/72、船舶なら1/700、1/500といったスケールですが、吹奏楽とオーケストラとのスケールは2/3位、場合によっては1/1なんてこともありますかね。プラモデルに比べてかなりスケール比が小さいですね。うーん、プラモデルというより蝋人形に近かったりして。
 その辺が、怪しさを醸し出しているのかも知れませんねぇ。

【参考文献】
TARKUS / YUTAKA SADO & SIENA WIND ORCHESTRA
AVEX AVCL-25763 のライナーノーツより

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