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253.前言撤回

2010.7.18


 少し前に「やる」と宣言したことを撤回することにいたしました。それは、何かといわれれば、#230で宣言いたしました、「交響曲作曲家(選択基準は私)の作品を一楽章ずつ、19人分吹奏楽に編曲する。」というものです。これをですねぇ、撤回させていただこうという次第であります。

 理由をこれからクドクドと述べさて頂くわけです。

 まず第一に、スコアの入手が出来ないものがあるということ。大抵の曲はアカデミアミュージックで取り寄せていただけるとは思いますが、サイトをざっと見たところ、ミャスコフスキーのスコアは扱われていないようです。これはちょっとよろしい状況ではありません。直接お店の方とお話をして何とかなるものかもしれませんが、ある程度のマイナス要因となっております。

 第二は、入手できるスコアでも印刷状態がよろしくなく、スキャンからの認識で大きな苦労が予想されるのです。ロマン派以前の作曲家であれば(あと、プロコフィエフもですが)、国内出版社のスコアが比較的安価に入手できます。しかし、その版は元はどこかの古い版であり(日譜は独自に浄書しておりますが)スキャンしたあとの認識、原曲スコアの作成に大きな手間が掛かるのが予想されます。ベートーヴェンをやっていたときでも、初期の「ウェリントンの勝利」や「第4番」などは、スキャニングしたあとで、ほとんど手入力しておりました。当時は元気と目標が有ったのでそれでも頑張れたのですが。

 そういうわけで、第三は「そこまでの元気は無いよ。」ということになります。なにしろ、「これはいい曲だ。」と思って手をつけたまま、グラズノフの交響曲第5番終楽章が原曲スコア化の途中で止まったままです。いずれは再開しますが、やはり気力がないのですよ。今年度中にはパート譜までちゃんと作るつもりではいますが。
 好きだと思った曲でもそうなのですから、特に好きでもない、ハイドン、モーツァルト、シューベルトなどは一生懸命にはならないでしょうね。まぁ、曲自体は短い物が多いので、やろうと思えば短時間で出来ると思うのですけれど。
 それと、ちょっと前にどこかで書いたかと思いますが、自分の編曲で演奏することを覚えてしまいますと、演奏のアテのない曲を編曲するのが辛くなってきてしまったのです。いい曲だからどこかのバンドが譜面を見てくれるだろうという希望があればよいのですが、これまでに吹奏楽譜面化されていないということは、それなりの理由が有るということですからねぇ。

 さて、そうはいっても、「一度宣言したことなのだから、やっぱりやるべきだ。」と思っていたのです。が、先日東京へ行って、リニューアルした銀座のヤマハでスコアを探してみたのです。国内版が出ていない作曲家のスコアなどを。
 スクリャービン、ニールセン、ヴォーン=ウィリアムズ、オネゲル、エルガー、辺りなんですが、、、、。
 やはり、前言撤回をせざるをえないという結果になりました。その理由は、調性が吹奏楽向きでない物が多い(とはいえ、最近は♯が5、6個付いた譜面を一生懸命やる学生さんも多いのですが)ということ、ではなく、

 スコアの価格が高い

という事であります。一冊5千円以上すると、ちょっとねぇ。前述の作曲家のスコアは大体そのくらいしました。
 いゃ、まぁ、今までに買ったスコアで「春の祭典」「惑星」「神々の黄昏」とか編曲のアテもなくその位の値段がしたものもあります。しかし、これからの経済状況を考えると非常に厳しいわけであります。

 そういうわけで、金銭的理由の下で全権撤回とさせていただきたいと存じます。 まぁ、どなたかが、スコアを寄付してくだされば、、、、。 

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