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219.「アイーダ」を観ながら考えた

2009.11.21


 G.ヴェルディ作曲のオペラ「アイーダ」を長野県伊那文化会館で見てまいりました。「聴いた・観た・読んだ」で11月2日の記事として書いております。また、#213では、「オペラが上演されるのは稀」などと書いておりますが、この長野県伊那文化会館では、2006年にプッチーニ作曲の「トスカ」、2007年にG.ヴェルディ作曲の「椿姫」を上演しておりました。この人口7万人程度の地方都市でほぼ毎年オペラが上演される様になっていたということに驚きました。

 本題に戻りましょう。観る前の私の「アイーダ」に対する知識というのは皆無でして、吹奏楽でよく演奏される凱旋行進曲があるのと、ラダメスという人が出てくることしか知りませんでした。アイーダが人名だということも知りませんでした。直前に買った激安DVDは観ましたが、日本語字幕がなかったのでストーリーは分からず、第2幕の踊りが「凄いなぁ!」と思っていた程度です。
 そういうわけで、会場に入りますとまず1500円で販売されておりましたプログラムを購入しましてあらすじの予習を始めました。まぁ、只でもらった紙一枚のプログラムの方が分かりやすかったですけれど。
 あらすじは大体つかめました。ただ、登場人物の名前はすぐには覚えられませんね。アイーダとラダメスはともかく、アムネリス、アモナスロとか「ア」の付く5文字となるとアダモステが出てきても気付かないくらいです。まぁ、エジプト王女とエチオピア国王ということで覚えておきましょう。

 まず、エジプトとエチオピアの戦争の話だということが分かりました。で、エジプト側の話なのですね。ということは、
エチオピアで上演されることはないんだろうなぁ。
と思ったわけです。だって、いくら名曲とはいえ自国が悪として描かれていますからねぇ。フランスのオーケストラがチャイコフスキーの大序曲「1812年」を演奏しないという話(真偽の程は定かではありませんが)も聞いたことがありますし。

 そんなバカなことを考えているうちに開演となりました。

 次に浮かんできた疑問は、「歌手の皆さんの声量は凄いけれど、マイクで拾っているのかな?」ということです。10月に駒ヶ根で観た「夕鶴」では、「マイクで拾って薄くスピーカーから流していたかもしれない」という話をある筋から聞いておりました。駒ヶ根のホールは1000人弱収容で、伊那文化会館(収容数1500人)から見れば中ホール程度の容積になります。マイクなしであの声量は大変なものですが、どうなんでしょうか。外国人は体が大きいから出るのかな?

 さて次の疑問。アイーダはエチオピア王女であり、エジプトに女奴隷として囚われている(エチオピア王女という身分は隠して)のですが、女奴隷って何でしょう。
 奴隷というと、自由を奪われ重労働を強いられるというイメージがありますが、アイーダはそのようには見えません。宮殿の中は自由に行動できるようですし、召使のような仕事をしているようにも思えません。エジプト王女アムネリスとほぼ対等に接していますし、アムネリス自身も「妹と思っている」などと言っておりました。
 かといって「国王の夜伽(シェラザードのようですね)をする人なのかなぁ」とも思いましたが、そのような人が将軍ラダメスと恋仲になるものなのか? (まぁ、これはあるかもしれませんけどねぇ。) 人質という意味かなとも思えましたが、エチオピア王アモナスロがエジプトに捕らえられたときに「人質にするのが良い。」なんて言われていましたから、人質とは別の概念のような気もします。
 謎ですねぇ。

 疑問ばかり感じているわけではなく、しっかり演奏の方も観ておりました。二階席の前列の方におりましたので、オーケストラピットの様子も指揮者もよく見えました。指揮者の歌手とオーケストラへの指示の出し方なんか「上手いなぁ。」と見入ってしまいました。それにしても3時間近く、ほぼずっと演奏・指揮し続けるって大変じゃないでしょうか。これは私には想像できないことです。オペラの上演って大変ですよね。

 そんなことを考えながら、第4幕ではその世界観に圧倒され、この作品の奥深さに感動いたしました。
 オペラにハマりそうですが、いつかはちゃんとした歌劇場で観てみたいものです。東京に住んでいたときに新国立劇場に行けばよかったと、ちょっと後悔しております。 

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