直線上に配置

396.練習の仕方 その1 

2014.1.26


 専属の指揮者がいて、木管・金管・打楽器にそれぞれトレーナーがついて、練習計画はマネージャが立てている、なんて恵まれた吹奏楽団以外は、大抵指揮者が一人でそれらの事をしている事と思います。私の所属する吹奏楽団も、そんな吹奏楽団の一つです。
 一人で演奏面の面倒を見ているので、物の見方によっては好き勝手にやっている、独裁だ、と思われてしまうこともあるのであります。パートリーダーの皆さんと相談しながらやるというのも方法ではありますが、人数が余り多くなければ、全体練習の場でメンバーの皆さんと話をしながら進めるのが効率的であるように思えます。いずれにしても、仕切るのは指揮者になるので、やっぱり好き勝手にやっているように思われがちでしょう。

 でも、ちょっと考えてみると、演奏の表現を付ける際、
「ええっと、ここは rit. した方がいいでしょうかね?」なんてメンバーの皆さんに問いかけ、
「じゃあ、多数決をしてみますか。 した方がいいと思う人、1、2、3…、22人。しない方がいいと思い人、1、2、3…、16人。じゃあ、 rit. しましょう。」なんて決めていくのも、おかしな話です。そもそも指揮者には演奏に関する権限を与えられている訳なので、自分の意志で決めて良いもののはずです。
 まぁ、アマチュア団体の場合には、それぞれの楽しみで参加している方がいらっしゃいますから、高度な要求をするというのは考え物の場合もあるでしょう。

 練習の仕方という視点でも、考えてみたいと思います。吹奏楽を始める人は、ほとんど中学校か高校の吹奏楽部に入部することが始まりになります。徐々にその学校の練習に入って行くわけです。その時点で練習の仕方というのはその学校の練習しか知らない訳です。三年間部活をするうちには、厳しい学校であれ、緩い学校であれ、それぞれ慣れ親しむことでしょう。

 そのうち、練習の仕方が変わる転機というものが有ります。学校を卒業して次の学校や一般団体に移る場合。顧問の先生が変わる場合などがあるでしょう。慣れ親しんだ練習の仕方が変わるのです。
 ここで、良く聞かれる言葉が、
「前の方が良かった。今のには馴染めない。」
という言葉のように思います。「以前より良くなった」というのは、以前がよっぽどひどくない限り、聴かれないもののように思います。人間というものは、慣れ親しんだものから変わる時には、多かれ少なかれ抵抗感を抱くものなのでしょう。かくいう私も、東京在住時には近在の吹奏楽団に馴染めそうになく入団をしないでおりました。

 とは言え、新しい楽団に入ってしまえばそこの練習の仕方に従うしかなくなる訳です。いくら前の方が良かったと言っても、前の学校には戻れないですし、顧問の先生も戻ってこないでしょう。

 話の流れから行くと、「前の方が良かった。」と思う人は、「ここの指揮者(指導者)は良くない。」と思うのは、至極当然な気持ちになって行くのでありました。慣れ親しんだ練習の仕方と違う上に、一人で勝手にやっているように見える訳ですからねぇ・・・

 とりあえず、今回は指揮者というものは、目の敵になりやすい状況にあると確認したところで、次回へと続けることにいたします。

前を読む 『休むに似たり』TOP 次を読む



Copyright(C)2005-14 T.Miyazawa All Rights Reserved.

直線上に配置