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380.らしさ

2013.9.30


 私が、吹奏楽団の練習を通じて音楽づくりをしていくときに、一番心がけていることは、「らしさ」であります。
 チャイコフスキーらしさ、フランス物らしさ、というようにその曲がもともと持っている雰囲気、味のようなものが演奏に現れる様に考えています。

 定期演奏会、吹奏楽コンクールで多くの団体の演奏を聴いていると、「らいさ」が表現されていず、「譜面通り演奏しました」という演奏が多いことがとても残念に感じます。確かに、音程もリズムもバランスも良く整ってはいますが、聴いていて面白いと感じないのです。「らしさ」を表見できている演奏は聴いていてとても心地良いものです。

 それらは、ロック、ジャズ、ラテン、クラシックというジャンルから始まり、8ビート、ロックンロール、スイング、バラード、サンバ、タンゴなど、クラシックでは前期/後期ロマン派、国民楽派という様式、更には国らしさ、作曲家らしさというように、いろいろな切り口から考えることが出来ます。様式のようにある程度決まっているものは考え易いですが、国らしさ、作曲家らしさというのは抽象的であり、捉えるのが難しいものです。また、捉えたとしても演奏するメンバーへの伝え方は更に難しくなります。「チャイコフスキーらしく」と言って伝われば楽ですが、チャイコフスキーを聴いたことのない人には、絶対に伝わりません。チャイコフスキーらしくとはどういうことか、具体的に説明しなければならない訳です。そのためには、チャイコフスキーの特徴を具体的に捉えていなければならないということになります。

 前回、清水ミチコ好きだと書いた理由は、そういうところにあります。特徴を捉えて、ネタを仕込で再現する。尊敬しています。

 さて、ここで私が考えている「国らしさ」というものを演奏時に注意していることを交えながら、ざっくり書いてみたいと思います。様式については教科書にも書いてありますし、「作曲家らしさ」は細かくなりすぎますので、また別の機会にしたいと思います。

 アメリカもの
 余り特徴的な物は無く譜面通り演奏すると、大体それらしくなります(大胆な発言だなぁ)。ただ、ジャズやラテン系の様式が加わっているときは、再現できなければ、ノリの悪い演奏になってしまいます。曲の中に紛れ込んでいる場合もありますので注意が必要です。
 そういえば、ハロルド・ウォルターズ作曲の『西部の人々』には「インディアンらしく」という指示がありましたが、なんとなく分かってしまうことが面白いですね。

 日本もの と云うか邦人作品
 民謡などの地域的要素を含んでいなければ、アメリカものに近いものがあると思います。もともと日本の吹奏楽のスタイルはアメリカに近いですから。それに、もちろん日本人的感覚は持っているので、譜面通り演奏してもそれらしさは出てくると思います。

 ロシアもの
 日本人が感覚として捉えやすいのが、ロシアものでしょうか。数十年以前、歌声喫茶などというものがあった時代にはロシア民謡が多く歌われていた様に聞いています。曲の特徴は、音の密度が濃く、太く重い。メロディーは強く感情に訴えてきて、どちらかというと暗い。明るい曲でも背景に影を感じていしまう。日本の演歌に通じるところもあります。

 フランスもの
 洒落ているの一言。明るく軽い音楽は多いのですが、その芯には強いプライドが有ります。その割に、東洋への憧憬を表現することも多々あります。

 ドイツもの
 厳格です。フランスものと違って他国の要素を取り入れることは少ないし、ロシアものほど重くはない。純粋音楽的な要素が強いです。

 イタリアもの
 明るく派手。カンツォーネ、オペラの要素が多いのでメロディックでもあります。リズムはそれほど強くないのかな。

 イギリスもの
 ドイツものとは違った厳格さがあります。イギリスのプライド云うのも強いですし、民謡の要素が取り入れられることも多いでしょう。

 ヨーロピアンサウンド
 1990年台から流行り出した、一連のジャンル。明るく軽快です。味が薄いと感じてしまうこともあり、悪く言うと大量生産されたような特徴が少ない気もします。

 東欧もの
 民族色が強くなります。リズム、音階、節回しなど地域的な特徴があります。


 本当にざっくり言ってしまいました。勿論、曲ごとにそれぞれの「らしさ」があるので一概に捉われないことも大事ですね。

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