「うちには紀美はんがおるやないの。口利いたら一ペんに。バレてしまうわ。あの子、おまえの声、絶対忘れへんよってな」 あきれて、たしなめると、 「だからや」と言うのだ。 「今やったら、まさか犯人がノコノコ出入りしよると思わへんさかい、声のそっくりさんで済むやない。一年二年先にどこかで声聞かれて、あれや、となったらおしまいやもんな。一生逃げ隠れせんならんより、いまそっくりさんで覚えといてもろた方が何ぼか安全や。つまり声のパスポートやな」 そして、彼の見込みが正しかったのを、今の刀自は知っている。 天藤真 著 「大誘拐」(角川文庫版) P425-P426 「あの人は、会話のなかで、そのスタッフのヒロミという人の名前を呼びました。正確には覚えてないけど、“それは厳しすぎるよ、ヒロミさん”というような言葉でした」 繋がれた大きな犬の前を、目をつぶって駆けぬける幼い子供のように、角田真弓は拳を握って勇気を奮い起こした。 「それを聞いて、わたし思い出したんです。本当に再現フィルムを見ているみたいにはっきりと思い出したんです。わたしが襲われて、死にものぐるいで逃げ出したとき、車から出てきてからかい半分の声で、栗橋浩美に話しかけたのは、あの人だったって。“あの女はデカすぎるよ、ヒロミ”って、あの声でした。聞違いありません。肉声を聞いたら判ったんです。あのとき、栗橋浩美と一緒にわたしを襲ったのは、 宮部みゆき 著 「模倣犯(五)」(新潮文庫版) P167 私が大好きな推理小説の一場面です。どちらも、人の声の記憶で犯人が特定出来る、ということを表しております。 読んだとき、「そんな、人の記憶がいつまでも他人の声を憶えているもんかねぇ。」と、多少いぶかしげに思ったものです。まぁ、推理小説というのは、けっこう怪しげな設定をしているものもありますからねぇ。 なんて思っていたのですが、最近自分の耳が同じ様な事をしでかしたのです。 親戚の一周忌に行きました。一通りの法要が済み、最後に本家の大叔父様Kさんが挨拶をいたしました。そして一周忌は滞りなく終わったのでした。 この時は、何も気づかなかったのですが、二、三日してから、 「あのKさんの声は、どこかで聞いたことがある!」 と思ったのです。 いつ聞いたかというと、 東京の会社に勤務していた頃なので、8~9年前になると思います。当時会社では、人事制度改革、業務改革を行っており、そのための研修会を何回も行っておりました。その研修会の講師は、外部コンサルタントのK'さんといいました。 K'さんの話ぶりというのが、私にとって何か懐かしい気がしました。話し方のイントネーションとか抑揚の付け方が、同郷の人の話し方のようです。ここで、お断りしておきますが、現在私の住んでいる上伊那地域は、ほぼ標準語に近い言葉づかいをします。K'さんも標準語で講義をし、特徴的な方言などを使っていた訳ではありません。決定的に同郷だという証拠はなかったのです。 それでも、どうも上伊那の出身ではないかと思い、休憩時間に尋ねたのでした。 そうしたら、やはり上伊那のご出身ということでした。過去にどこそこ(私も知っている会社)に勤めており、その後東京に出てコンサルタントになったという。 この時点で、私の耳は同郷の人の言葉を聴き分けるという、ちょっと信じられないことをしたのでした。 「Kという苗字は、私の祖父と一緒ですから、もしかしたら親戚かもしれませんねぇ。」なんて冗談を言いました。 で、一周忌で聞いたKさんの声が、K'さんの声と同じではないかと思ったのです。とりあえず苗字は一緒ですから。 しばらくしてから、一周忌をしたお宅に用事があって伺った際、 「Kさんというのは、以前どこそこに勤めていて、その後でコンサルタントかなんかしていませんか。」 と訊いてみたのです。そうしたら、やはりそうだというのです。 Kさん=K'さん だったわけです。冗談で言った「親戚かもしれない。」は、遠いながらもその通りだったのです。それはそれで、凄い偶然ですが。 私の耳は8~9年前の人の声を憶えていたのですねぇ。まぁ、なにか私の記憶に残るものがあったのだとは思いますけれど。 そういう訳で、上の推理小説に書かれているような、人の声の記憶というのは残っていることもあると、身を持って体感したのでありました。 【参考文献】 大誘拐 / 天藤真 / 角川文庫 模倣犯(五) / 宮部みゆき / 新潮文庫 |