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344.音楽らしきもの

2013.1.19


 音楽の三要素は、リズム、メロディー、ハーモニーと言われておりますが、メロディーから音程を取り除くとリズムが残りますし、メロディーの音型から和音を類推してハーモニーを考えることが出来ますので、メロディーの中にリズムとハーモニーもある程度含まれており、メロディーが音楽の要素として大きな比重を占めていると考えられます。

 世の中には、メロディーというものが溢れている訳ですが、どうもその「音楽的でないなぁ」と思うものもあるのであります。
 その代表的なものに、信号機の歩行者用に鳴る「とおりゃんせ」などのメロディーであります。私の思うに、音程も、リズムも、音質もひどいもので、とても音楽といえるものではありません。学生時代のある時、電気科の友人に「あの音程はなんとかならないものか?」と訊ねたことがありました。当時でもFM音源などはあり、音程、リズムは正確に演奏できたものです。その友人は丁寧に説明してくれ、音の生成方式が違うので音程はどうしようもないのだ、という事だったのですが、私にはチンプンカンプンでした。
 まぁ、横断歩道のための信号音ですから、音楽と聴き分けが付かなかったら、信号音の役割を果たせなくなりますので、あれはあれで良いのだと、認識いたしました。それにしても、メロディーに似て非なるものということで少々気持ちの良いものではありません。最近は「カッコー、カッコー」や「ピョ、ピョ」が多くなっいるようですので、それほど気にしなくなってきましたけれど。

 さて、それから最近気になり始めた、音楽らしきものの話です。
 ホームセンターやスーパーでBGMとして流れているアレです。最近のヒット曲などが延々と流れている訳ですが、聴いていてやはり音楽として感じられないのですね。それが、何故かが気になっていたのですけれど。
 原曲と同じように、旋律あり、ハーモニーあり、リズムセクションあり、違うのは人が歌っていないだけと思っていましたが、それにしても心地良いものではないのです。むしろ不快にさえ感じます。実際に、会社でああいうのがBGMとして流れる時間帯があるのですが、とても気分が悪くなります。
 何故、そう感じてしまうのでしょうか。

 用途から考えて、じっくり聴かせるものではなく、店内が寂しくならない程度に音があるというものではないでしようか。お客さんの注意が、商品より音へ行ってしまってはいけないということもあります。
 そういう事から考えると、あまり刺激の強い特徴的な音質でなく、抑揚がないものになっているように思えます。

 これを書き始めるにあたっては、「音色がないから音楽的に聴こえないのだ」という意図でおりましたが、書きながら考えていると、それだけではなく、抑揚がないと書いたように、アゴーギク(テンポ、リズムの変化)、ディナーミク(強弱の変化)が無いのですね。

 ここから、墓穴を掘ってしまうことになるのですが、私もこのサイトで作成した譜面についてはMIDIで再生して『雲ヶ音市民吹奏楽団定期演奏会』として公開しておりました(現在は、ネットワークストレージの関係で停止中)。一応、アゴーギク、ディナーミクについては、譜面表記の様に再生しておりました。実際の演奏の様に細かいところまではやり切れませんでしたが、出来るだけ音楽的に聴こえるようには考えておりました。しかし、やはりあまり音楽的とは言えませんでしたねぇ。
 それは、やはり音色が実際の楽器と違った所為だと言いたかったのですが。

 書き始めて脱線してしまいましたが、音色っていうのは演奏の中で最も大事なのだと、改めて考えているのでありました。 

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