ここに1本のカセットテープがあります。SONY BHF 120。 言わずと知れた、懐かしの荷物シリーズです。 何が録音されているかというと、1983年夏のある日、長野工業高等専門学校吹奏楽部の練習風景です。音だけだから、風景というのはちょっと変ですが。 練習している曲目は、A面に課題曲「吹奏楽のためのインベンション第1番」(内藤淳一)、B面に自由曲「吹奏楽のための哀歌」(兼田敏)であります。指揮は稲垣征夫先生。日にちは、分かりませんが多分日曜日の午後でしょう。当時はまだ土曜日が休日ではなかったので、一日練習と言えば日曜日のことです。県大会の後、東海大会の前のはずですが、そんな大切な練習の日に欠席した者がおりました。ティンパニ、、、(森野、お前のことだよ)。 それでは、A面を聴いてみましょう。と言っても、この場で文字に表せるのは、稲垣先生の言葉だけ。 冒頭、金管のファンファーレの辺り 「パンパパパーンって、もっと形、取れる?」 「あんまりいい音ねぇな、ティーって言わない」 「3番(トランペット)ちょっと小さめに吹いて」 音程が気に入らないらしくキーボードで和音を弾く 「ぶつけて吹いちゃったな」 「Aから。もう少し二分音符別々」 「ジャンジャジャジャーン、じゃなくて、タンタタタン」 「タン、タ、タ、タ・・・いちいち全部引っ張り出してやり直さないと、出来ないかね。もう一回Aから。5小節目パーン・パーン・パーン、メロディー持ってるのもっとユニゾンきちっと合わせろ。」 「はい、ラッパ、5小節目」 「合わないよ、全然タイミングが」 「合わない」 キーボードを弾く 「二拍目が合わないの、二拍目」 「それじゃ合った風にならないの。もっと、ビシャッと合うんだから」 「1番の吹き方に全部合わせられないか?2番3番」 「もっとこう、スカーッと、音のキレが良くなんねえのかなぁ。1番はまぁ、2番3番がぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃしちゃって・・・」 「5小節目のタイミングが揃わない」 ここまでで10分です。いやぁ、テープ起こしって手間がかかりますねえ。しかし、この先生のセリフだけだと何がどう悪くて、どう直していいか分からないような気がしますが、それ以前にいろいろ指導を受けての練習ですから、これでも何のことか分かっていたのでしょう。きっと。 さらに続きます。 「二拍目は、ちゃんと別に考えるの。そう言ったじゃないかよ。」 「(カツカツカツカツ(指揮棒でたたく音))棒なんか見なくていいの。1番ラッパにちゃんと合わせるんだから、1番に合わせて吹くの。1番の方見て吹けよ。」 (この辺はアンサンブルの仕方を言っているようです) 「もう一回、ぐしゃくしゃぐしゃくしゃしてまだ合わない。」 「もっと揃う」 キーボードで和音確認。 「ディミヌエンドが書いてある小節が揃わない。」 「1番と3番」 「ディミヌエンドって無いの3番には?」 「いつもシの音が上がり足んないなぁ」 「2番と1番」 「タイミング合わない」 「そのチャンチャチャチャーンのところよくハモって」 「はい、トロンボーン」 とうことでようやくトランペット解放です。ここまで15分。 「3番トロンボーン、シだぞ」 あらら、トロンボーンの方がトランペットより音程もタイミングも合っていないように思えますが、2分ほどでお終い。 「トロンボーンとラッパとホルン。3番トロンボーンもっとトロンボーンらしい音出せ。全然それじゃあ、ユーフォニアムだかホルンだか訳分かんね。」 「メロディー聞こえない。ホルンもあるんだろ。」 「全然音程になってない。ハーモニーと呼べる代物ではない。」 「B-durだぞ、B-dur」 「どうしてそんなところに、パンて音が決まらないんだってぇ」 「自分で探ってくれよ探って。一つ一つ合わせるの、ヤダ」 ここまで20分。全体練習ですが、木管・打楽器は音を出していません。 さて、このように練習は進み、25分過ぎに合奏っぽくなります。所々でパートの確認をします。 「D、ラッパとホルン」 「タ、リャリャリャー、じゃなくて、タンタタターンて吹くの」 などと、ニュアンスを伝えながら進みます。 そして 「大変結構。大変だよ、タ、イ、ヘ、ン」 誉めることも忘れません。誉めてるのかなこれ。 約40分のところで 「じゃ、いっぺん通してみるべ。これ、録音係、、、ずっと録ってんのこれ?」 「録ってます」←録音係 「ずっと録ってんのね。」 (マイクに向かって)「ラッパのバカ、バカ。トロンボーンのバカ。もっと言うんだったな。」 部員、爆笑。 「テープまだあるかな。」←録音係 「もうかれこれ、一時間になるよ。90分だろ。」 「いえ、120分です」←録音係 部員爆笑。 で、一回通して、課題曲の練習はお終いとなりました。休憩の後は自由曲の様子がB面に録音されています。同じ様な雰囲気で進んでいますので、書かなくていいでしょう。 この年、私は5年生で学生指揮を(勝手に)しておりました。先生が見えないときは、私が練習を見ていました。つまり、私が楽器を吹くのは、個人・パート練習と先生の合奏の時だけ。昔から、あまり楽器を吹いていなかったのですね。 また、私が合奏で指摘したことが、先生の合奏で指摘されないことを目標としていましたね。私の指摘はちゃんと直っていると。大抵、先生の指摘は別のところだったので、私の目標は大抵できていたことと信じています。先生の観点が違っていただけかもしれませんが。 そう、私は吹奏楽の練習というものはこういうものだと思っていましたし、稲垣先生の指導の仕方、考え方がある程度身についた原体験となっております。以来、30年間近く、市民吹奏楽団での指揮に就いています。学生と社会人との違いはありますけれど、ステージに乗ってお客さんに音楽を聴いてもらうことには変わりありません。 久しぶりに先生の声を聞いて、パワーを復活させた感じ。これで、今日のリハーサル、明日の本番を乗り切るか。 |