この駄文も314回目となりました。314ですので、πの話でも書こうかと思いましたが(ウソ)、学生時代の寮に314号室があり、その部屋の部屋番号表札の“3”と“1”との間に黒く丸いシールが貼られていて、 3.14 と読めるようになっていたという、まぁ、しょうもない話があるだけです。 さて、アンコールの話の続きでした。 ここに1枚のCDがあります。 ロストロポーヴィチとワシントン・ナショナル交響楽団のロシア凱旋公演・モスクワコンサートのライブCDです。 ロストロポーヴィチは亡命後ソ連から国籍剥奪され国外追放されておりました。この時代の芸術家は国外追放された場合、生きて祖国に迎えられる事は無かったのです。それが、1990年ゴルバチョフ体制下で帰国が許され国籍も復活されたのです。その帰国の際の歴史的コンサートです。 コンサート全体の演奏曲は不明ですが、このCDに収録されているのは、 ・チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 ・J.シュトラウスII世 (ショスタコーヴィチ編) ポルカ「観光列車」 ・グリーグ 「ペールギュント」第1組曲から「オーゼの死」 ・パカニーニ (マーキス編) 常動曲 ・プロコフィエフ 「ロミオかジュリエット」から「タイボルトの死」 ・ガーシュウィン (コステラネッツ編) 映画「シャル・ウィ・ダンス」から プロムナード(ウォーキング・ザ・ドック) ・スーザ 行進曲「星条旗よ永遠なれ」 の7曲です。 「悲愴」の演奏が終わった後、拍手が続き、その後切れ目なく「観光列車」から順に演奏されていきます。曲間には拍手が入っています。 ですから、このコンサートでは「悲愴」がメイン曲で、その後はアンコール曲ということです。プログラム全体としては、「悲愴」の前に、序曲、協奏曲などが演奏されていると思いますが、残念ながら解りません。 それにしてもアンコール6曲というのは凄いですね。吹奏楽のコンサートなら、これだけでワンステージになってしまいます。 さて、前回アンコールの選曲には何かしら意図がある場合が多いと申しました。このアンコール曲目を眺めてみると、ちょっと意図が理解できない曲があるのですね。 「観光列車」はショスタコーヴィチの編曲、「ロミオとジュリエット」はプロコフィエフの作曲ということで、同じソヴィエト体制下で苦しんだ作曲家を取り上げたのではと思います。ショスタコーヴィチとは特に親しかったですからねぇ。 ガーシュウィンとスーザは、ロストロポーヴィチを受け入れたアメリカの曲ということでしょう。 そして解らないのが、グリーグとパガニーニの曲です。 グリーグがソヴィエトと縁があるわけでも、ロストロポーヴィチがグリーグを得意としたわけでもなさそうです。これは、パガニーニについても同じです。 「オーゼの死」という曲は美しい曲ですが、死を題材にした曲を単独で演奏するということも、少々妙ですね。ソヴィエト体制下で死んでいった芸術家たちを悼んでという意味が込められたのでしょうか。 そうすると、パガニーニの曲こそ意図が解らなくなってきます。 編曲者、マーキス(CDジャケットには、Andreas Markis と表記あり)をネット検索してみましたが、Andreas Markis ではヒットせず、Andreas Makris (マーキスではなくマクリス)という作曲者がヒットしました。この方は、ナショナル交響楽団でヴァイオリニストも務めており、編曲リストの中に常動曲がありますので、マーキスとというのは誤記で、マクリスで正しいのでしょう。 ということであれば、ナショナル交響楽団のアンコール曲の定番という形で取り上げられたのではないかと思います。 一通り、選曲の意図を考えてみたのですが、考えすぎでしょうかねぇ。 【参考文献】 SONY SICC 1208~9 チャイコフスキー交響曲第7番&第6番 ウィキペディア フリー百科事典 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ WIKIPEDIA The Free Encyclopedia Andreas Makris |