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273.眼鏡

2010.12.4


 私は、日頃の生活で眼鏡を必要としている者であります。運転免許証にもそのように記載されておりますので、公に認められているのであります。まぁ、そんなに力んで言うことではありませんが。

 いつ眼鏡が必要なほど視力が悪くなったかといえば、これは明らかでありまして、中学3年生の時であります。高校受験の所為というわけでは全くなく、別の理由があります。
 当時は吹奏楽部でチューバを吹いておりました。チューバを吹くときは唇が大きく振動するわけです。試しに皆さんも「ぶるるるるぅぅぅっっ」と息を思いっきり吐きながら唇を振動させてみてください。すると、見えているものがブレて見えませんか? 唇が振動すれば顔全体も揺れ、目も揺れますから、見ているものがブレて見えるわけです。このブレて見える状態が長く続くと目がピントを合わせる事を諦めてしまい、そのうち視力が衰えていくのです。更に悪かったことに、練習をしていた教室が暗かったのです。視力悪化に拍車をかけたに違いありません。

 などと、もっともらしい事を書きましたが、ほとんど嘘だと思います。だって、チューバ吹きが全て視力が悪いわけではないですからね。私の言うことは、まるっきり信じてはいけません。

 視力劣化の原因は別にあると思われまして、中学3年のときの教室での席が、一番右の一番前だった所為だと思います。私は当時身長が170cmはあり、クラスでも大きい方から3番目でありました。そんな大きい生徒が一番前に座るというのもいかがな物かという気もしましたが、当時の席替えの仕方でそうなってしまったので仕方ありません。
 一番前、一番右という席は、黒板が非常に見難かったのです。窓からの光が黒板で光ってしまい、何が書いてあるか良く分からないのです。見えないものを一生懸命見ようとしているうちに、目がピントを合わせるのを諦めてしまい、そのうち視力が衰えていったのでありました。

  などと、もっともらしい事を書きましたが、半分は嘘だと思います。だって、教室の一番前、一番右に座った人が全て視力が悪いわけではないですからね。私の言うことは、まるっきり信じてはいけません。

 そういうわけですが、中学3年生のときに1年間かけて視力が悪くなったことには変わりありません。卒業後に眼鏡を作り、今日に至ったいますが、その後は視力の変化はありません。眼鏡が壊れたりして何回か作りましたが、そのたび同じ度数でした。最近では老眼が進んできましたので、状況は変化してきましたが。

 で、現在も眼鏡はしております。当然、指揮をするときも眼鏡をしていないとスコアを見ることが出来ません。

 眼鏡という物は、顔にフィットするように大きさや形を整えますが、そうしていても完璧に合うわけでなく、多少大きめになっています。小さいときつくて痛くなりますからねぇ。大きいということは、眼鏡がずり下がってくることを起こします。
 指揮をしているときは、スコアを見るために下を向いたり、奏者を見るために顔を上げたり、上下運動をするため、余計にずり下がってきます。そうすると、眼鏡を元の位置に戻すという動作をしなければなりません。手でもって眼鏡の中央あたりを上に持ち上げるのです。
 しかし、しばらくすればまた下がってくるわけで、演奏中に何回も眼鏡を戻す動作をしなければならなくなります。
 この動作がですねぇ、指揮者として大変カッコ悪いと思うのです。プロの指揮者でこんな事をしているところを見たことがありません。(本当にいないのかなぁ)

 スポーツをする人の方が眼鏡がずれることは問題で、いつだったかずれないフレームとかCMをしていたことがありましたね。あ、今もやっているか。そのほか、ストラップをするとか、ズレ止めの対策はあるようです。
 私がしている対策は、これです。

 これ、どうやって使う物か分かりますかねぇ。シリコンゴムで出来ておりまして、眼鏡にこのように装着いたします。

 耳掛けのところに付けて、ぴっちりフィットさせずれないようにします。位置の調節も可能です。
 これを付けて指揮をすると、眼鏡の位置を直す動作が全くなくなり、指揮をしていて非常に気持ちよくなります。

 ただし、欠点もありまして、長時間しているとやはり耳の付け根が痛くなってきます。そういうわけで用がないときは外すのですが、そうすると小さい物ですので、無くなってしまったり、忘れてしまうこともあるのです。
 実は、この駄文を書くに当たっても、どこに行ったか分からなくなり、少々探していたのでありました。

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