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267.左手

2010.10.25


 私が指揮をするときに少なからず気をつけていることの一つに、左手の動きがあります。右手には指揮棒を持っていますので、その役割は明白です。しかし左手の役割となると、右手ほど明確でなく、逆に言ってしまえば「右手ではやりきれないことを左手でやっている。」というような事になります。
 素人指揮者(まぁ、私もその一人ではありますが)となりますと、左手の動きが全く右手の対象となっている場合が多く、私の教則本(おうちで指揮者)においては、

 ずっと右手の真似をしていると、無駄な動きをしている指揮者に見えるし、音楽家の仲間で「泳ぎっぱなしだ」と、軽蔑されるのだ。

と、書かれています。左手の使い方が、指揮が上手く見えるかどうか(上手い指揮かどうかではなく)に大きく影響するのです。
 さらに「おうちで指揮者」では、

 リヒャルト・シュトラウスは、静かな箇所では左手をコートのポケットに突っ込んでおくようにいつも忠告していた。

と、あります。これは極端な話としても、左手に無駄な動きをさせるのは得策ではないのです。
 まぁ、右手と左手が同じ動きをするのは、音楽を強調させる場合とか、テンポや音量を急激に変えるときには有効なのであり、こういったときには積極的に使うのでありましょう。

 もうちょっと真面目に左手の用法を。指揮者の小松一彦さんの著した「実践的指揮法 ~管弦楽・吹奏楽の指揮を目指す人に~ 」から、左手の使用法に引用してみます。
 1、 クレッシェンド、ディミヌエンド、音の持続
  
(中略)
 2、 アインザッツ……新しい声部の入りを教えること
 3、 カット……その時右手はビート(テンポ)を取る
 4、 表情(ニュアンス)
 5、 その他……バランスの指示。また拳を高く上げ、力強さ等を表現することなど

 であります。ということはほとんどの場合、右手とは別の動きをすることになります。ピアノが弾ける人やドラムセットを叩ける人は、右手と左手を別々に動かすことは慣れているでしょうが、私のような者にとってはかなり難しいことです。よく指揮者の練習として、右手で八分音符・左手で三連符→右手で三連符・左手で十六分音符→右手十六部音符・左手五連符……(その逆もあり)というようなこともあるようですが、私はさっぱりダメです。
 とはいいつつ、少なからず左手に気を使っているわけですから、要は右手と同じ動きを(必要なとき意外)しないようにしているのです。

 ところが、今回の演奏会(駒ヶ根市吹25回定期)では、右手と左手を対象に、しかも大きく動かすということが比較的多かったのです。まぁ、先に述べたような「泳ぎっぱなし」のような。

 それは何故か。

 右手がコントロールしているのは主にテンポで、これが良く見えるのがステージ向かって右手方向、低音楽器方面です。つまり、通常の演奏では低音楽器側がテンポをしっかり把握して、それに乗っかるように高音楽器が演奏する、もちろん高音楽器方面の皆さんも指揮は見ていないわけではありませんからテンポは合う、はずなのですが、何かの拍子で譜面に没頭してしまい指揮が見えなくなると、低音楽器方面と高音楽器方面がずれてしまうのです。もちろん常に低音楽器方面が正しいというわけではなく、どちらかがずれるということになります。いや、低音方面、高音方面の二分化だったらまだ良いかもしれません。中央方面がまた別のテンポで演奏しだし、打楽器がまた、、、。
 と、演奏はハチャメチャの方向になっていくのです。(本番に近い練習で本当にそうなったときがあったよなぁ)

 それを防ぐために、私は右手と左手を大きく同じ動きをさせ、
「とにかくテンポだけはこれにあわせてくれ。」
というアクションをせざるを得なくなるのです。かくして合奏に乱れは納まり、何事も無かったように終るわけですが、私としてはテンポをキープしただけで音楽性など二の次の演奏になってしまうのでした。

 まぁ、そういうことは練習のうちに調整をしておき、本番は悠々と、というのが理想ですが、アマチュアですから、本番で何が起こるかわからないというのも確かなのでありました。
【参考文献】
おうちで指揮者 / ダン・カーリンスキー&エド・グッドゴールド著(齋藤純一郎 訳) / 音楽之友社
実践的指揮法 -管弦楽・吹奏楽の指揮を目指す人に- / 小松一彦 / 音楽之友社

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