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260.自由曲はどうでしょう

2010.9.4


 前回は課題曲について書きました。ついでにいうと、中日吹奏楽コンクールの課題曲は市販のマーチでしたが、全日本吹奏楽コンクールの課題曲はご存知のとおり、毎年公募され選出された曲になっております。これは一つの作曲コンクールにもなっており、作曲を志す者の目標の一つにもなっています。
 全日本吹奏楽コンクールでも、やはり課題曲の冒頭を聴くと演奏団体のおおよその実力が分かってしまうことには変わりありません。

 では、自由曲についてはどうなのかと、ちょっと思っていることを書いてみたいと思います。

 コンクールの主催者、あるいは審査員側から考えてみますと。
 課題曲で実力が分かってしまうなら、自由曲の演奏はいらないのではないかと思ってしまいますが、どうでしょう。せっかく数ヶ月かけて練習するのだから、4分で(本当は10秒で充分?)終らせるのはかわいそう? ステージの入れ替えの時間ばかりでコンクールが変? 課題曲ばかり聴いていると飽きてしまう(これは演奏側も同じ)? などと考えてしまいますが、コンクール的に考えると、僅差の団体があったときなどは自由曲の演奏で評価を分けるなんてことが真っ当のような気がします。
 私の知る限りでは、確か審査は課題曲と自由曲は同じ比率で採点されるものです。課題曲6対自由曲4の加重が掛かるということはないということです。しかし、先に述べたように、課題曲が素晴らしくて自由曲が全く下手糞、とか、課題曲が滅茶苦茶で自由曲がプロ並みということはない(あったとすれば、下手な方の曲は全く練習していないということですね)ので、やはりある程度時間をかけて差を分かりやすくするということでしょうかね。
 私がコンクールを聴いていても、「課題曲はイマイチなんだけど自由曲は素晴らしい」(その逆も)という団体さんはいます。たまたま課題曲は苦手なタイプの曲で自由曲は得意なタイプを選んだということも有るかもしれませんが、「自由曲でそれだけの演奏が出来るならば、課題曲もちゃんと練習すればできるでしょう。」と思ってしまいます。それに自由曲といっても、余程珍しい曲(委嘱作品初演とか)でなければ、知られた曲が多いわけですから、審査の条件としては課題曲と大差は無いように思います。
 そういうわけで、12分かけてある程度細かいところまで審査するということなのでしょう。

 演奏側から考えますと。
 課題曲は「つまらない」と思う向きが多いのでしょうか。4曲ほどの選択肢が有るとはいえ与えられた曲ですので、つまらなさにもバイアスが掛かってしまいそうです。課題曲というのは、特定の団体に有利にならないように、どの団体でもほぼ同じ条件で演奏できるように作曲されています。ですから、面白みにかける部分も有るとは思いますが、優劣が分かりやすい審査ポイントもあるわけですから、つまらないといって練習に手を抜くといい評価につながらないのも確かです。
 その分、自由曲は自分たちの得意なスタイルや好きな曲、レベルの高い曲を選べますので、モチベーションも上げやすく練習にも熱が入るでしょう。そういうわけで、「課題曲イマイチ、自由曲ブラボー」なんていう団体も出てしまうのかもしれません。
 私の学生時代最後のコンクールは、課題曲を手を抜いたらアカンと思い込んで練習したため、東海大会で課題曲は高評価(代表並)でしたが自由曲は面白みに欠ける演奏と評価されてしまいました。自由曲も課題曲並に演奏できれば東海代表になったかも知れないなぁなどと思います。(が、あの頃の三重大はもっと上手かったので、やはり無理だったでしょう。)

 お終いに聴く側から。
 これはどうでしょう。関係者、保護者など自分の関係する団体だけ聴いて帰ってしまう人にとっては、課題曲も自由曲もあまり関係ないでしょうね。審査員と同じように一日ずっと聴こうとすると、課題曲は飽きてしまうし(でも、聴いているうちに憶えてきて、にわか審査員になったりすると、それはそれで楽しい)、自由曲のバラエティーの広さが嬉しくなります。やはり、自由曲は必要です。

 ということで、今回もまとまりの無い話になってしまいました。相変わらず、ネタの搾り出しに苦しみながら来週へつなぐのでありました。

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