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245.『悲愴』

2010.5.22


 ノーヴァヤ・ロシア交響楽団の演奏する『悲愴』を聴いたのは先週のことであります。「聴いた・観た・読んだ」に書いたとおり、今までに聴いたことのないユニークな演奏でありました。
 この曲、日本では『悲愴』というタイトルで知られていますが、その意味するところを辞書で引いてみますと、「悲しくいたましいこと」と書かれており、曲のイメージもしばらく前まではそのように感じておりました。

 私のネタ本の一つであります、佐伯茂樹さん著の『名曲の「常識」「非常識」』にはこのような記述がありました。(P184-185)

 ~ 《悲愴》の原題は、ロシア語の「パテティーチェスカヤ」という言葉であるが、確かに、このことばをロシア語辞典でひいてみると、「感情的」とか「激情」という意味しかなく、日本語でいうところの「悲しい」というニュアンスの意味は載っていない。 ~

 なあんだ、『悲愴』というのは誤訳であって『激情』という意味であれば、あの演奏も納得が行く部分が多くなるものだ、と思ったのです。ロシア人がロシア語を解釈しているんだから間違いはないだろうと。

 さて、ここから話は脱線していきます。

 私はチャイコフスキーに関する、バランシン/ヴォルコフ共著の「チャイコフスキーわが愛」という本を持っておりまて、『悲愴』に関するあたりがどのように書かれているかを読み返してみました。(P234-)

 チャイコフスキーは、完成させたばかりの第六交響曲の名前について考えていました。彼の弟は最初、『悲劇的(トラジック)』という名前を提案しました。それは、チャイコフスキーには気に入りませんでした。しかし、弟が『悲愴(パセティック)』という名前を見つけだすやいなや、彼は同意したのでした。どうしてその交響曲をそのように名づけることに同意したのか、彼は部外者には説明したがりませんでした。彼はただ、ほのめかしただけでした---待ってくれ、今に分かるだろうと。 ~

 これは、弟のモデスト書いた伝記と同じ内容で一般的に知られてしまっているエピソードです。『悲愴』意味については、説明したがらなかったようなのでこれだけでは真意は分かりませんね。
 ところがこの本には、この後続いておかしなことが書いてあるのです。

 第六番の第一楽章は短く、

 え? 『悲愴』の第一楽章は彼の『マンフレッド』を含めた7つの交響曲の中で最も長い楽章です。演奏によっては、第4番第一楽章や『マンフレッド』の終楽章の方が長い場合もあるでしょうが、『悲愴』の第一楽章を短いということは出来ません。その後にも、

 チャイコフスキーは「悲愴」を非常に速く作曲しました。わずか二十日ばかりで仕上げたのです。

 ウィキペディアによれば、1893年2月17日着手でオーケストレーションの完成が8月25日と半年掛かったとされています。
 どうも、この本は怪しげな記述が多いように感じます。バランシンとヴォルコフの共著ということになっていますが、実際はジョージ・バランシン(1904-1983、バレエ振付師)にソロモン・ヴォルコフ(1944- 音楽学者、ジャーナリスト)がインタビューした物でヴォルコフの著作といった方が良いようです、、、。

 ソロモン・ヴォルコフ、、、

 ハテ? どこかで聞いたことのある名前、、、。そうです、1979年に『ショスタコーヴィチの証言』を刊行した人物です。詳しくはウィキペティアのリンクを見ていただくとして、要するに胡散臭い人なのです。

 ということで、チャイコフスキーに関してアテにしていた本がどうも怪しい本らしい。うーん 1,800円もしたのに。
 やはり、あることに関して一冊の本だけを鵜呑みにするのは危険であるのでしょう。自分で信憑性を検証できればいいのですけれどねぇ。研究者ではないので、なかなか難しいことです。

 ここで話を戻します。『悲愴』の意味について、ウィキペディアの方でも確認してみました。ちゃんと日本語における副題という項があり解説されており、さらに詳しくはリンクされている、神崎正英さんの「音楽雑記帖 - チャイコフスキー《悲愴》のタイトル」に記述されています。
 要するに、チャイコフスキーはフランス語で命名しているので『悲愴』という日本語訳は必ずしも間違いではないということでした。さらに、モデストが『悲愴』を提案したというエピソードも作り話のようですね。

 結局、あの演奏は、「そうやって解釈する人もいるんだよね。」ということで、私の中では落ち着いていくのでした。


【参考文献】
佐伯茂樹 / 名曲の「常識」「非常識」 ~オーケストラの中の管楽器考現学~ / 音楽之友社

バランシン / ヴォルコフ (斉藤毅 訳) / チャイコフスキーわが愛 / 新書館

ウィキペディア フリー百科事典 /
 交響曲第6番(チャイコフスキー)
 ショスターコーヴィチの証言 

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