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210.カラヤンのまねをしてみる

2009.9.21


 カラヤンというと、「帝王」といわれた、あの名指揮者であることは言うまでもありません。三十年以上前の私が中学生のときは、カラヤンは存在する最も有名な指揮者でありました。レコードを買ってポスターをもらい部屋に貼っており、そのポスターと一緒に自分を写真に撮ってもらい、その写真を友人に見せ、「カラヤンの友達」とかバカなことを言っておりました。でも、それほど好きではなかったのですけれど。

 1989年に亡くなっているので、最近ではもちろん新録音などはなく、二十年以上前の録音でしか演奏を聴くことは出来ません。ということで「録音は新しいものがいいなぁ。」と思っている私は、カラヤンの演奏を聴くのは稀なことになっています。ですのでカラヤンがどんな演奏をするのかということは、本で読んだり、人の話で聞くことがほとんどでした。

 今年の8月2日、BS2の番組表を見ていると、夜中の1時から4時過ぎまで、「クラシック・ロイヤルシート『カラヤンの芸術』」というのが放映されることを知りました。もちろんのそんな時間に起きている訳にはいきませんので、録画のセットをしました。曲名など一切書いてなかったので何を演奏するのかはわかりませんでした。
 3時間以上もある番組なので、すぐには観る気にはなれずしばらく忘れておりましたが、最近になりまして休日の昼間にようやく見ることが出来ました。
 演奏された曲は、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』、第7番、第6番『田園』、第8番、第5番の5曲でありました。
 観てみて、「あぁ、これがカラヤンが映像にこだわったというアレか。」と分かりました。2008年7月27日放映の「題名のない音楽会」『カリスマ指揮者カラヤン』で、触れられていた内容で、観たいなぁと思っていたのです。ただ、DVDを買ってまで観ようとは思わなかったので、これは幸運でした。

 カラヤンといえば、目を閉じて指揮をするのがトレードマークだったそうで、この映像で観てもずーっと目を閉じて指揮をしています。いやぁ、少しくらいは、目を開けているときがあるのではないかと思っていたのですが、全くありませんでした。見事です。きっと映っていないところでも、目は開いていないでしょう。
 で、そういうことを知ると、まねしてみたくなるのが私の悪い癖でありまして、市吹の練習でやってみたいなぁと思うようになりました。しかし、演奏しているメンバーの皆さんから見れば、「何、馬鹿なことをしているんだ。こっちは真面目に練習しているのに。」と怒られそうで、なかなか出来ません。目をつぶるということは、相手を無視することにもなるわけですし、一生懸命演奏をしている人から見れば、気分の良いことではないですよね。
 どうしようかな。

 昨日(9月20日)は駒ヶ根市吹の合宿ということで、長時間の練習をしました。その中で「カルメン」の「闘牛士」の中間部分で、恐る恐る目を閉じて振ってみました。といってもやはり長時間は無理な感じで、長くても5秒くらいでしたでしょうか。奏者を無視してはいけないという気持ちがやはり働いてしまいました。

 それでも、目を閉じていて分かることがありました。音が客観的に聴けるというのでしょうか、間違っているところや、音程の合わないところがよく分かります。CDで音だけを聴いているのと同じですね。
 目を開けていると、奏者が一生懸命やっているのがわかるので、良い方に聴いてしまうのでしょう。目を閉じて聴くと良くないところが分かりやすくなります。時々やるのはいいかもしれません。
 やっぱり、アイコンタクトによってタイミングを取ったりしていますので、意思が伝わりにくくなるという面もあります。こちらによる危険の方が大きいですね。
 その辺を考えながら、時々カラヤンに乗り移ってもらうことにします。

 カラヤンといえば、もう一つ。
カラヤンは1989年7月16日に亡くなりました。7月16日というのは、私の誕生日であります。1/365の確率だけの話なんですけれど。

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