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177.フェルマータ その2

2009.2.7


 ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』の冒頭は誰でも知っている有名なフレーズですが、譜面を見ると意外な事実が分かります。
 「・ジャジャジャ ジャーン、・ジャジャジャ ジャーン、、、」と2回鳴るのはお分かりかと思いますし、「ジャーン」と延びるところにはフェルマータが付いているのだなということも予想は出来ると思います。
 では、譜面を見てみましょう。



 確かにフェルマータは付いています。しかしよく見ますと「おやっ?」と思ってしまいますね。1回目のフェルマータは八分音符3つの後の二分音符に付いています。しかし、2回目は、八分音符3つの後に二分音符があり、タイでつながったその次の二分音符に付いています。譜面の上では2回目の方が二分音符一つ分長く延ばすことになるのです。

 フェルマータをどれ程延ばすか(おっと、停止するか、でした)は演奏者の任意ですので、この二分音符一つ分の差は何なのでしょうか。
 ここが指揮者の悩みどころのようです。

 またまた、出所不明の話で大変申し訳ない(所有の本を全部見ましたが、探し出すことが出来ませんでした)のですが、こんな話があります。
 ある巨匠と言われていた指揮者Aが、この二分音符の一つの違いの意味について悩んでおりました。それを知った別の巨匠指揮者Bが「あいつはそんなことで悩んでいるのか、馬鹿者め。」といって馬鹿にしたという。確か、この巨匠というのがフルトヴェングラーだったのかトスカニーニなのかその辺の人です。いや、これこそうろ覚え中のうろ覚えなので信用しないで下さい。
 そもそもこのエピソードの言わんとした事は何だったのかも、私には分かってなかったのです。巨匠Bは巨匠Aの悩みを、当然のごとく解決していたのか、はたまた悩むほど考えなかったのか。

 さて、それでは私としてはどう考えたかを述べてみます。
【仮説1】 ベートーヴェンはこのフェルマータに対し具体的な長さを想定していた。二つのフェルマータの延ばす長さは同じ。つまり、2回目の方が1拍(この曲は2/4拍子ですが、早いので二分音符一つが1拍という感じになります。)長い。では、具体的なフェルマータの長さというのはどれほどか。1拍長いという差が分からなければならないのですから、仮にフェルマータの長さをn拍とすると、一回目n拍、二回目(n+1)拍となります。表にしてみましょう。

n 一回目 二回目 比(二回目:一回目)
1 1 2 2
2 2 3 1.5
3 3 4 1.33
4 4 5 1.25
5 5 6 1.2

 延ばせば延ばすほど比が小さくなって行き、1拍の差を感じにくくなります。感じることが出来るのは、n=3あたりまでではないでしょうか。ということで、ベートーヴェンは具体的にフェルマータを3拍程度までと考えていた。

【仮説2】 いや、そこまで具体的ではないのではないか。「二回目の方が一回目より長く延ばしてくれ。」位の意味では。演奏のときの気分によってフェルマータの長さも変わるわけですから。フェルマータ自体の長さだって二回目の方が長くてよいのです。1拍の差というのはそれほど厳密ではない。

【仮説3】 フェルマータなんだから、自由に延ばして良いのでは。同じ長さでも、一回目の方が長くても良い。


 どうでしょうか。私は譜面を見ただけでは【仮説1】だと思っていました。しかし、具体的長さを考えていたのなら、フェルマータを使わずに、その拍数の音符を書けばよいのです。ということは【仮説2】かなぁ、と思うようになりました。
 「ベートーヴェン研究(児島新)」によれば、この二回目のフェルマータの前の二分音符は、初演の後に挿入されたようです。 ということは、二回目の方を長くしたいという意思は明らかだと思います。したがって、【仮説3】は有り得ないと思うのですが、一回目を長く延ばしている指揮者もいるようですね。どんな解釈をしたのか聞きたいところではあります。

 フェルマータひとつでこんなに悩んでしまっては、演奏できるのはいつになるか分かったものではありませんね。巨匠Bは、そう考えて悩まなかったのかもしれません。まぁ、少しは考えたと思いますけれど、あの時代の指揮者は、かなり自由に曲を作っていましたからねぇ、、、。


【参考文献】
ベートーヴェン研究 / 児島 新 / 春秋社
 より Ⅲ資料批判に基づく楽曲研究 第五交響曲について
ベートーヴェンの交響曲 / 金聖響 + 玉木正之 / 講談社現代新書

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