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158.読める?

2008.9.28


 飲み屋さんへ行きまして、お酒を飲むというときには、大抵ビールから始まり、日本酒、サワー類、焼酎、ウィスキーなど好みによって色々な方面へ飲むものが移り変わっていきます。「チャンポンは良くない」などといって最後までビールを通そうとすることもありますが、大体酔っ払ってくれば訳が分らなくなり、結局いろんなものを飲んでいることになります。
 それで、焼酎、ウィスキーを飲む場合には、何かで割って飲むことが多いので、一杯ずつオーダーするのではなく、ボトルを入れるということになります。ボトルを入れることになりますと、ビンに名前や自分のシンボルマークを書いたり、タグに名前を書いてボトルにぶら下げたりします。そのときに、私たち楽器関係者は自分の楽器の絵を書くことが多いのですね。金管楽器なんかはそのままラッパのマークなんかを書いたりします。話は、ここから始まるのです。

 お店のおネエさんがそれを見つけると、
「へぇ~、楽器やってるんだぁ。楽譜読めるのぉ? すごいねぇ。私、楽譜ぜんぜん読めないんだよねぇ。」
などと言われることがあります。あなたが楽譜を読めないのは小学校で勉強しなかったせいでしょう、ということを心の中で思いながら、
「楽譜読めますよぉ。商売ですからねぇ。」
なんて、ご機嫌に返事をしてお話が弾んでいくこともあります。

 このことで、ふと考えてしまったのです。楽譜が読めるっていうのはどういうことでしょうか。
 五線の左端にペロペロキャンディーみたいな絵が書いてある時に、下から二番目の線の上にある玉は「ソ」の音だとか、黒たまに旗が無いときは四分音符というとか、所謂楽典的な記号としての読み方でしょうか。確かにそうでしょう。そうやって読むことによって楽器を演奏することが出来ます。私もそう思って、「楽譜読めます。」と答えてきました。
 ところが、編曲で楽譜をいじりながらとか、指揮しながら色々考えているうちに、「本当に読めていると言えるのかなぁ」と思うようになってきたのです。

 スコアを眺めていますと、一度にたくさんの音が書いてあります。よく見て「フルートがCでオーボエがGでクラリネットがEだから、ハ長調の曲だからトニックなんだ。」ということが分るわけです。時間をかければ分るわけで、瞬時に読めるというわけではありません。ましてや一曲の内には山のような音符があるわけですから全部を読むとなると大変な時間が要ることになります。
 例えてみると、洋書を英和辞典を引きながら読んでいくのと似ています。その状態ではとても本を読んでいるとは思えませんよね。
 話を元に戻すと、そのほかにも、和音の進行がどうだとか、形式、主題の成り立ち、などなど、読まなければならないことはたくさんあります。まぁ、ある線からはアナリーゼということになって行くのでしょうが。

 出典を忘れてしまったのですが、指揮者の要求されている能力として、「オーケストラのスコアを見て、そのままピアノで演奏できなければならない。」「譜面を見ただけで、どんな響きがするか分からなければならない(絶対音感が無ければ無理です)。」なんてことが書いてあるのを見ました。プロでもそれが出来る人は少ないだろうと思いますが(でも、大抵の方は出来るような気もします)、そこまで出来れば確かに楽譜を読めると胸を張っていうことが出来るでしょう。とにかくピアノの弾けない、絶対音感のない私にとっては、完全にお手上げです。

 まぁ、そんな私でも最近は練習で指揮をしながら、「ここは、C、E、G、Aだから云々。」なんてことをいうことが少しですが言えるようになってきました。やっばり、日々の勉強と言うものは大事であります。

 いつか飲み屋のおネエさんに、胸を張って「楽譜読めますよ。」と言えるようになりたいものです。まぁ、酔っ払いの戯言に聴こえるかもしれませんが。 

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