直線上に配置

154. 15年

2008.8.29


 今日、会社である方が定年で退職された。仮に「ユウさん」としよう。ユウさんは15年ほど前、私の上司だった。

 ユウさんと私とがいた職場は、ある製品の開発部門だった。15人ほどのメンバーを擁する部署で、ユウさんはリーダーだった。ちょうど数年に一度というフルモデルチェンジの時期を迎えていた。大きな仕事だった。ユウさんと私とは元々それほど親しいという仲ではなかったが、その仕事が始まり、無謀と思えた目標に、私は事あるごとにユウさんに突っかかって行く様になった。私は、自分の仕事にプライドを持って主張していたつもりだったのだが、度々口論をすることとなった。

 製品を設計する上で製造原価というものが目標の一つになる。ある製品を販売するのにお客さんが買いやすい値段を設定したとすると、製造原価を安くすればするほど利益は大きくなる。私の担当した製品の製造原価の目標は、どう考えても達成できるものではなく(若干届かないというレヴェルではない。一桁違うのだ。例えて言えば普通乗用車を数万円で作れというようなもの)、私は最初からやる気を無くしていた。
 それでもユウさんは設計しろという。設計してみて部品を一つ一つ見直し、安く作れる方法を考えていけと。どう考えても無理だ。紙で作れというのか(通常、機械は金属で作ることが多い。当社の製品はプラスチックで作っても性能が悪くなる。紙で作ることなど論外。紙で性能を満たせるものがあったとしたら、それは金属より高価に違いない。)。
 「出来る訳ないじゃないですか!!」 私は、怒鳴っていた。ユウさんは黙って去っていった。

 そのすぐ後、ユウさんはユウさんの上司とミーティングをしていた。その製品の打ち合わせだったはずだ。ユウさんは、上司に「こんなこと、やってられませんよ!!」と叫んでいた。私は、「ユウさんが私の主張を酌んで頑張っているんだ。」と思った。だが、話はそんなことでは済まなかった。
 ユウさんの上司は、そのまま人事に駆け込み、ユウさんを異動させる届けを出した。数日の間に、ユウさんはリーダーを降ろされ、別の職場へ異動して行った。別の人がリーダーになった。

 ユウさんが移動して行った理由は別にあったのかもしれない。けれど、私から見れば、私が引金を引いたようにしか思えなかった。

 約一年後、その製品は世に出た。製造原価はその目標より大幅に引き上げられ、現実的な数字に落ち着いていた。

 そしてその後、私は東京へ転勤した。ユウさんもまた別の工場へ異動していた。



 それから3年が過ぎ、私はもといた職場に戻ってきた。ユウさんも職場は別だったが、同じ工場に戻ってきていた。担当した仕事が違っていたせいで、普段会う事は全く無かった。

 ある朝、出勤し駐車場で車を降りると雨が降っていた。私は傘を持っていなかった。会社の玄関までは200メートルほど歩かなければならない。目の前に、傘を持っているユウさんがいた。
 ユウさんは、私を傘に入れてくれた。二人で玄関まで歩いた。私は、恥ずかしげに礼を言ったが、そのあと何も話すことは出来なかった。
 それからまた、ユウさんと会うことは無かった。

 そして私は、東京へ二度目の転勤をすることになる。

 7年が過ぎ、私がまた今の職場に戻ってきたのは去年の6月だ。ユウさんも色々な職場を経て、同じ工場に戻ってきていた。今回も担当した仕事が違ってたため、会って会話するようなことは無かった。

 今月になって、ユウさんが定年退職されることを通達で知った。ユウさんに何かしなければならないと思った。何か贈り物をしたかった。

 そして、今日。ユウさん、会社生活最後の日。
 会社を去る人は、挨拶をして回る。ユウさんは私の所へ来るだろうか。私は、仕事の合間にユウさんのことを思い出し、なぜか目に涙を浮かべていた。こんなところ、人には見られたくないね。
 ユウさんは、私の職場にも来た。そして、私に深々と頭を下げ、「お世話になりました。」と仰った。とんでもない話だ。お世話なんかしていない。頭を下げられる筋合いもない。頭を下げるのは私の方だ。
 少し会話をして、また頭を下げて、、、私は、「後でお渡ししたいものがあるから。」と言って、その場は仕事に戻った。

 私が贈り物として用意したのは、製品にちなんだ決して市販されていないもの。良いも悪いも思い出が詰まっているはずのもの。
 仕事が終わり、ユウさんのところへ持っていった。渡す。喜んでくれた。本当に喜んでくれた。


 私は今、15年前のユウさんと同じ歳のはずだ。そして、同じ職場で、同じ立場にある。そして、15歳年下の言う事を聞かない部下もいる。

 あと15年経ったら、、、
 

前を読む 『休むに似たり』TOP 次を読む



Copyright(C)2005-8 T.Miyazawa All Rights Reserved.

直線上に配置