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125.練習中はお静かに?

2008.2.9


 駒ヶ根市民吹奏楽団の練習で指揮棒を持つようになって一ヶ月が過ぎました。実際には練習回数は4回ですが、ようやく音が馴染んできたかなあ、という感じがしてまいりました。7年ぶりということで、メンバーも大分入れ替わっておりまして、様子も変わっており、初めて振るバンドのような気がしないでもありません。

 練習となれば、指揮者はメンバーへの要求を色々としゃべることになります。以前、指揮をしていたときには、古くからの知人友人が多かったせいか、練習中私語が多く、ガヤガヤした感じはあり、私がしゃべったことが本当に伝わっているか、疑問だったことが多かったのですが、現時点では練習中は非常に静かであります。
 しかし、こうなってしまいますと逆の不安が出てきてしまっております。また岩城宏之さんの「楽譜の風景」から引用してみましょう。

 オランダ人は、こういう団体行動の上で、実にディシプリンがない。ガヤガヤ、ガヤガヤ絶えずしゃべり合う。ぼくはハーグのオーケストラの常任を何年がしていたので、これを切実に体験した。メンゲルベルクのころもそうだったようで、彼がしゃべりにしゃべっても、ほとんど誰もが聞いていなくて、大変に能率が悪かったらしい。ある時オーケストラ側がこれを反省して、先生がしゃべっている間、行儀よく黙って聞くことを申し合わせたのだそうだ。最初の実行のとき、みんなが黙ってメンゲルベルクに耳を傾けていたら、なんだ、おまえたち、いったいどうしたのだ、そんなに静かでは気持ち悪くてしゃべれないではないか、と怒ったという話も聞いたことがある。伝説として、たぶん大袈裟になってしまったのだろうが、現代の大オーケストラの、経済上の能率主義からは考えられないような、のどかな話である。(186~187ページ)

 いいですねえ、こういう話は大好きなのです。指揮者というのは練習中にメンバーが静まり返ってしまうと気持ち悪くなってしまう事があるようなのですね。どのくらいの指揮者に当てはまるかはわかりませんが。

 私の思うところでは、指揮者にとって練習中にメンバーが静かかどうかということはそれほど重要ではないのですね(といっても限度はありますが)。要は言った事がちゃんと音になって帰ってくるかということなのです。いくら静かに聞いていてくれても、音になって帰ってこなければ、聞いていないのと同じです。
 指揮者は、指揮棒を振るというアクションで、曲をどう演奏したいのかということの大筋を表しています。それで伝えきれない部分を言葉で補っているわけです。ですので、最悪メンバーが言った事を全く聞いていなくても、指揮を見てくれれば大筋は違ったことにはならないのです。いや、でも、だから指揮者の言う事は聞いていなくてもいいよということではないのですが。緊張して無理して静かにいるよりも、リラックスして伸び伸びと音を出してもらったほうがいいなぁ、と思うのです。
 まぁ、最も重要なのは指揮者とメンバーとの信頼関係ですから、そこのところを大事にしていきたいと思っています。

 話は逸れてしまいますが、ずっと以前にあるアマチュア吹奏楽団のアマチュア指揮者が、ブロックサインみたいなのを決めて、「手の形がこうなったら急いで、こうなったらゆっくりにして」と言っていたのを見たことがあります。4つくらい決めていたと思うのですが、「演奏中にそんな指示出されても思い出せないよ。」と苦笑したことがあります。
 指揮者がメンバーに意図を伝えると言うのは難しいと言うことですね。


【参考文献】
楽譜の風景 / 岩城宏之 / 岩波新書

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