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122.あなたの知っている私は、私の知らない私

2008.1.20


 人にはそれぞれ性格というものがあり、特徴的な部分においては個性となって表れています。他人からそれを見たときには、受ける印象により「あの人はああいう人だ。」と言うような評価になるわけです。逆の状況で考えてみると、「私は周りからどんな風に思われているか。」と言うことになります。

 以前、受けた研修のカリキュラムの一つに、「自分が客観的にどのような人間か」を知るために、他のメンバーがある一人に対して思ったことを模造紙いっぱいに書き出す、と言うものがありました。対象となる人には反論は許されません。ただ、聞くのみです。かなり辛い(照れくさい?)ものがありましたが、これにより自分が他人からどのように見られているか知ることが出来たわけです。

 その時に言われたことや、日頃周りの人に言われたことを書き出してみると、
「落ち着いている。」
「理論的に物事を考えている。」
「親しみやすい。」
「はっきりと物を言う。」
「冷めたものの見方をする。」
「丁寧に、気配りをしている」
「トイレから出るときは水を流してください。」
「スケベが眼鏡かけて歩いている。」
 ・・・
と言うように、概ね良好に捉えられているようです。
 まとめてみると「物静かで、真面目なタイプ」ですね。いや、まぁ、その、ちょっと違うんじゃないかと思う人もいるでしょうが、そういうことです。私は「物静かで真面目」なのです。いいですね。


 さて、話は変わりまして、世の中には素晴らしい物が数多くありまして、その中の一つに「お酒」があります。嗜好品ですから嫌いな方もいらっしゃるとは思いますが、私は好きであります。
 お酒と言うものは眺めていても面白いものではなく、当然飲んで楽しむわけですが、飲めば段々と酔って来きます。酔って来るということは、先に述べた性格と言うものが徐々に変化して参ります。
 私の場合どうなるかと言うと、だんだん喋るようになります。気分がよくなってきて、普段抑えている分が外れ、本当に良く喋るようになります。この辺で止めておけば、楽しいお酒で済むのでしょうが、そのうちに、口調が強くなり、かなりキツイことを喋るようになります。「物静かで真面目」とは正反対の状態になっています。で、この辺りから記憶が怪しくなって行くのです。この先、私はどうなってしまうのか判らないのですが、想像するにかなり良くない状態も有り得るのではないかと、、、、。記憶が無くなった翌日などは、とりあえず、一緒に飲んだ方に謝りつつ、様子を聞いたりするわけです。

 と言うように、普段から私を知っている方は、飲むと変わる事をご存知なのですね。

 普段から私を知っている方は、そういうことになるのですが、ごく稀にしか会わない方もいるわけです。学生時代の友人だとか、かなり以前会社の同僚であって異動、退職により離れてしまった方とか。
 そういう方たちとは、会うとなると殆どの場合「飲みますか。」ということになります。飲むために会うといった方が正しいでしょうか。
 そうやって飲む場合というのは、大体長時間にわたり飲み続けるわけで、当然のごとく性格が変わった状態で記憶を失っていくのです。

と、どういうことになるのか。

 たまに会うと、必ず飲む。ということは、酔った状態しか見られないということになります。記憶をなくしてしまうわけですから、私は私がどんな人間になっているか知りません。
 ですから、たまに会って飲むだけの人には、

「あなたの知っている私は、私の知らない私。」

ということになるのです。これは恐ろしいことではないですか。まるで、ドッペルゲンガーのようです。自分の知らないところで、自分は何をやっているのでしょうか。
 まぁ、そういった場合は、お互いに記憶をなくしていることも多いので、あまり気にすることは無いのかもしれません。

 ともかく、お酒には注意しましょう、ということで久しぶりの駄文はおしまいです。

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