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96.練習百万遍

2007.7.22


 私は学生時代よりユーフォニアムを担当しております。コンサートなど演奏するステージに立つためには曲が吹けるように練習をしなければなりません。
 部活動はほとんど毎日あり、出席率は良かったのですが、どういうわけか先輩からは「三谷澤、練習しろ。」とよく言われました。自分ではしていたつもりなのですが、どうも練習が足りないように見えたようです。確かに、飽きっぽい性格であり、ある程度吹けるようになり、残りは非常に難しい部分だけとなると、簡単に諦めてしまって完璧に吹けるようになるという執念は希薄でした。
 年が進んで高学年になると学生指揮を勝手に始めてしまったので、自分で楽器を吹く時間は更に減っていきました。そんな感じで「死ぬほど練習した」ということは無かったのですね。

 社会人になり、市民吹奏楽団に入りました。学生と違って練習時間は非常に限られていますし、その練習のほとんどが全体合奏ですから、個人練習で楽譜をさらう時間はごく僅かです。
 あるときアンサンブルコンテストに出場するために、学生時代よりお世話になっている先生にコーチしていただくことになりました。アンサンブルコンテストですから全体練習とは別にメンバーで時間を捻出し練習はしていたのですが、譜面が難しかったせいかコーチしていただく当日までに指が回ってはいませんでした。当然、見ていただいたときにはお叱りを受け、「練習百万遍」というお言葉を頂いたのでした。
 当時は、「ちゃんと練習しろよな。」程度の意味でしか意味でしか理解できませんでした。だって百万回も練習できるわけ無いじゃないですか。半分冗談のようなものだと考えていました。しかし、最近になって気付いたことがあるのです。

 東京での通勤時間に、よく本を読んでいたのですが、その中の一冊に、こんなことが書いてありました。篠田節子さんの「ハルモニア」と言う小説です。ある地方オケのチェロ奏者が有名オーケストラのエキストラに呼ばれることになり、曲の練習を始めるというシーンです。

 次に内容を吟味するような本格的な練習に入る。三十分を超えるシンフォニーの中の難所を取り出し、一音一音切り、音程と音色を丁寧に確認しながら、飲み込むように自分のものにしていく。二小節に一時間をかけて完成させる。舞台に立つための気が遠くなるような作業が始まる。(154P)

 篠田さんご自身もチェロを演奏されるとのことですので、正確な描写であると思います。このシンフォニーというのはシベリウスの曲であることは書いてあるのですが、何番かは書いてありません。
 さてさて、ここに書いてある「二小節に一時間をかけて」というところ。一日に何時間練習するのかは分かりませんが10時間だったとしても20小節。このシンフォニーには練習が必要な小節はいくつあるのでしょうか。本当に書いてあるとおり、気の遠くなるような作業です。
 また他のところでも、ラロのコンチェルトをマスターするのに六ヶ月以上掛かったということが書いてあります。

 この本を読んで「練習百万遍」という言葉を思い出したのです。百万という回数はともかく、演奏できるようになるまで気の遠くなるような練習をするのがプロなのですね。
 市民吹奏楽団のようなアマチュアでは練習時間は限られていますが、練習に対するにはこういう気持ちが必要なのだなぁ、と漸く気付きました。ちょっと、遅かったですね。

 篠田さんの作品には、そのほかにも「カノン」「レクイエム」「マエストロ」といった音楽を題材にしたものがあります。音楽のシーンなど参考になりそうなことが書いてありますので、お勧めをしておきます。ただし、ホラーもありますので怖い話が苦手な人は、注意ですよ。


【参考文献】
ハルモニア / 篠田節子 / 文春文庫

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