直線上に配置

95.憶えていますか?

2007.7.14


 そのほかにも憶えることは、演奏する人間にとっては、譜面を覚える、楽器の指使いを憶えるというのがあります。

 まず譜面を憶えることについては、暗譜で演奏しようとした場合、独奏者、演奏者であればパート譜、指揮者であれば総譜(スコア)を憶えることになります。これらの場合、前回書いたように一回しか譜面を見られないとか、一回しか聴くことができないというわけではなく、憶えるまでの期間はある程度とることが出来ますので、「絶対音感」のようなある種特殊な能力が無くても何とかなると思います。

 クラシックのコンサートでは大抵協奏曲がプログラムされています。ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲というものですが、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ショパン、メンデルスゾーン、ブラームスといった非常にメジャーな曲はもちろん、かなりの曲で独奏者は暗譜で演奏します。現代曲や演奏される機会が稀な曲の場合は譜面を置くことが多いでしょう。
 こう言っては失礼かと思いますが、平野公崇さんが自作の「七つの絵〜有元利夫に捧ぐ〜」をサクソフォン独奏で演奏されたときも暗譜で演奏されました。自作ですから憶え易いとはいえ、演奏機会の少ない(あぁ、本当に失礼です。すみません。)曲を憶えるのは大変なことではないでしょうか。もし、作曲家なら当たり前ということになると、作曲家の記憶容量というものは計り知れないものになりますね。自作の曲を全部憶えているなんて。

 指揮者がスコアを憶える場合は、ちょっと話が違ってきます。指揮者は自身で音を出さないのです。最悪の場合、拍子とテンボとその変化する部分を覚えてしまえば、何とかなります。あと、ソロなど目立つ部分で指示を出せれば、それなりに格好は付きます。私なんかが「暗譜で指揮」と言っているのはこの程度です。
 岩城宏之さんの「楽譜の風景」にこんなことが書いてあります。ちょっと長くなりますが引用します。

 亡くなった近江秀麿さんは、若い頃名指揮者のエーリッヒ・クライバーに師事していたが、クライバーは弟子どもに、その時勉強している曲のスコアを、いきなり空で書かせるので、油断ならなかった、とおっしゃっいた。本当の暗譜とは、こういうものだろう。
 だが全世界にゴマンといる指揮者の中で、指揮している曲のスコアを空で正確に書けといわれて、出来る人が何人いるだろう。正直言って、ぼくはお手上げだ。インチキをやっていることを、心から恥じる。ロリン・マゼールなら出来るだろうと、誰かが言っていた。アメリカのあるオーケストラでぼくのアシスタントをしていた韓国人の若い指揮者が、クリーヴランド・オーケストラのアシスタントになるための試験を受け、首尾よく合格したのだが、いくつかあるテストの一つは、ベートーヴェンの「エロイカ」の自分の決めたある楽章を、指定された箇所から三分間分のスコアを書け、というものだった。出題者は常任のマゼールで、若い韓国人は、ゆっくりした楽章なら音符が少ないからと、第二楽章を選んで勉強していたが、覚えられないといって毎日泣いていた。マゼールが本当に書けるかどうかは、確かめたことはないが、緻密な仕事ぶりを見ていると、かなり書けそうな気がする。(135P〜136P)

 この後半の「エロイカ」第2楽章三分間分暗譜というのは、編曲していて思ったのですが、案外出来るかもしれないということです。音符を歌いながら何回も書いて、一週間も繰り返せばかなりイケるかなぁ、なんて。まぁ、その間他の仕事は出来ないでしょうが。そう考えると「私の記憶力も満更でもないなぁ」と、やりもしないのに感心しておりました。

 岩城さんは自分ではインチキ暗譜だと書かれていますが、その指揮ぶりを拝見したときは、「とんでもない。ご謙遜を」と思いました。
 プロの指揮者というのは、かなりの部分を憶えているようですね。コンサートで見ていて分かることがあります。スコアを置いてして指揮をしている場合でも、ほとんど憶えているといっていいでしょう。指揮は、譜面を憶えることが目的ではないのは言うまでもありません。曲を勉強した結果、憶えてしまうということなんでしょう。勉強は大切ですね。

 話を演奏者の方に戻してみます。冒頭に書いた「譜面を覚える、楽器の指使いを憶える」と言うのは表裏一体のものであるといえるでしょう。譜面を見ながら練習をし、指使いを憶えていく。譜面を完璧に記憶してから練習に入る人はいないでしょう。音を出しながら、耳で聴いて、手の感覚などを使いながら、体で憶えていきます。体だけで憶えるというのはダメで、例えば演奏中にミスをやらかして止まってしまった場合、どこからかやり直さなければならないでしょう。そのときに体が思い出してくれなかったら、、、。やはり、楽譜が頭に浮かんでこなければならないのでしょうね。この辺の話も「楽譜の風景」に書いてあります。

 それにしても、「楽譜の風景」、読み返してみて改めて素晴らしい本だと思いました。絶版のままではもったいない。どこかで再版されないでしょうか。多くの人が読めたらいいなぁ、と思う本であります。

【参考文献】
楽譜の風景 / 岩城宏之 / 岩波新書

前を読む 『休むに似たり』TOP 次を読む



Copyright(C)2005-7 T.Miyazawa All Rights Reserved.

直線上に配置