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90.切る

2007.6.9


 今のところ私は吹奏楽の現場から離れている訳でして、どんな曲が流行っているのかということには疎いのです。それで、時々コンクールのプログラムにある自由曲の曲名を見て非常に驚くことがあるのです。最近の吹奏楽オリジナル曲は良く知らないので驚くことはないとして、やはりクラシックからのアレンジ曲ですね。これも著作権の関係からかある年から突然流行りだすという事があるようで、最も驚いたのはこの曲です。

 リヒャルト=シュトラウス / アルプス交響曲

 リヒャルト=シュトラウスの曲はオーケストレーションが素晴らしく、管楽器が活躍するスケールの大きな曲が多いのですが、私が現役だったころには著作権があったため限られた曲が限られた条件でしか演奏することが出来ませんでした。著作権が切れてから、吹奏楽曲編曲もされるようになり、演奏される機会も増えてきたと思うのですが。

 アルプス交響曲ですか。

 この曲は、全部で50分ほどの単一楽章の曲で、いくつかの部分に分かれてそれぞれにタイトルはついていますが、切れ目無く演奏されます。つまり、コンクールの自由曲として演奏するためには、7分程度にちじめる必要があり、八割以上をカットする必要があるわけです。
 八割以上をカットしてしまって、アルペンを演奏したといえるのでしょうかねぇ。

 まず先にカットについて考えてみたいと思います。私もクラシック曲をコンクールで演奏したいと思ったときには平気でカットすることを考えていた人間ですが、あるときこんなことがありました。
 学生時代の部室で譜面を探していたときに、私が入学する以前の古いコンクールの講評用紙を発見しました。その中に審査員の一人のコメントに次のようなことが書いてありました。

「ソナタ形式を理解してカットしているのか?」

 曲は、R.ワーグナーの歌劇「リェンツィ」序曲でした。この曲は11分程度の曲ですから、1/3位はカットしなければならない勘定になります。
コンクールなんだし、カットについては演奏の良し悪しに直接関係ないし、この審査員もそんなこと言わなくてもいいのに、と思いましたが、カットするにしても単純に違和感なく短くするのではダメなのだなぁと思ったのも確かです。
 吹奏楽の世界で、カットすることが当たり前のように行われているのをみると、ちょっと考えるようにもなりました。ちょっとだけですけど。

 カットは悪いことなのかといえば、100%ダメだとは思っていません。カットなしで演奏するのに越したことはありませんが、処々の事情というものもあります。
 実際にオーケストラの世界でもカットすることは良くあることなのです。
 オペラを演奏会形式やハイライツとして演奏する場合、アリアの部分だけを並べて演奏するときには、当然カットして美味しいところだけ演奏することになりますね。
 交響曲などの管弦楽曲でも繰り返しを省略してしまうことは割とあります。ベルリオーズの幻想交響曲第4楽章冒頭の繰り返しは、繰り返しがある演奏の方が少ないのではないでしょうか。
 繰り返し以外でも、そのときの指揮者が冗長だと判断してカットをしてしまうことがあります。フリッツライナー指揮シカゴ交響楽団のチャイコフスキー「大序曲1812年」(1955〜56年の録音。演奏時間は12分33秒)はかなりのカットがされています。私はこの演奏を最初に聴いてしまったため、他の1812年を聴いたときかなり違和感を感じました。機会があったら聴いてみてください。
 そのほかにもいろいろとあるのですが、音楽的に良くなる方向と信じてカットをしている場合がほとんどだと思います。きっとそうでしょう。

 ですから、カットする際には原曲を知ったうえで、演奏する部分、カットした部分にどのような意味があるのかを考える必要があるのではないかと思います。


 とかなんとか偉そうなことを言いながら、私もやっていました。
ベートーヴェン交響曲第7番第1楽章エクストラクション版
(序奏の後半を飛ばし、主題提示部の後すぐに結尾部に飛ぶと言う大胆カットをしてあります。)
 だって、手軽に演奏するにはこれくらいにした方が良いと思ったものですから、、、

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