オペラシティーへ向かう地下道を歩いているときに、貼ってあるポスターにふと目が留まりました。良くあるコンサートのポスターなのですが、見慣れない曲名が書いてあったのです。 ドヴォルザーク 『自然交響曲』 ト長調 作品88 はて、『自然交響曲』とはなんでしよう。聞いたことがありません。9曲の交響曲のほかにもあったのでしょうか。しかし、「ト長調 作品88」とあります。これは第8番のことです。でも第8番は「イギリス」ではなかったでしょうか。この「イギリス」と言うタイトルも、イギリスの出版社から出版されたからと言うもので、作曲者が意図したものではないと言うことは知っていましたが。 「ドボ8」が自然交響曲と言われると言うことを初めて知ったのでした。 それからしばらく後。 タワーレコードでボロディンのCDを探していたときのことです。 ボロディンの曲で知られているものはそれほど多くなく、管弦楽曲では交響曲が3曲、歌劇「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの平原にて」位なものですが、最も有名なのが歌劇「イーゴリ公」より「だったん人の踊り」でしょう。 CDを探していても、大体そんな曲しか見当たらない(では、何を探していたかというと、交響曲が全部入っていて安いCDです)のですが、またふと目に留まった曲名があったのです。 「ポロヴェツ人の踊り」 「へぇ、、そういう曲もあるんだぁ。」と思ったのですが、ちょっと気になります。演奏時間を見てみますと、「だったん人の踊り」に近いのです。もしかしたら、《だったん人》 → 《ポロヴェツ人》と言う曲名の変化があったのではないかと考えられたわけです。 そこで、帰宅後調べてみました。いつものウィキペディアです。 やはり、日本語に訳したときの誤訳か、或いは拡大解釈のようです。「ポロヴェツ」というより「だったん」と言った方が日本人にとって馴染みがあったからではないでしょうか。「韃靼」なんて漢字が当てられているくらいですからね。 それを正して、ポロヴェツ人と表記するようになってきたのでしょう。 成長にしたがって名前が変わる魚を出世魚と言いますが、こちらは出世曲とでもいえるのでしょうかね。別に成長しているわけではありませんが。 さて、このようにある時から曲名や番号が変わってしまったと言う曲は他にもあります。 最も有名なのはシューベルトの未完成交響曲でしょう。私が中学生のころ音楽室に貼ってあった年表や教科書では、交響曲第8番でした。そして、第9番が「ザ・グレート」だったのです。が、ある時からこの「ザ・グレート」が第7番という表記を見るようになります。そして現在では、国際シューベルト教会により、「未完成」が第7番、「ザ・グレート」が第8番になってしまいました。 まぁ、それでも「未完成」と言えば第8番と言うのが、一番馴染んでいるような気がしますね。 最初にあげたドヴォルザークの交響曲も、以前は違う番号が付けられていました。 有名な「新世界より」が第5番、第8番が第4番、第7番が第3番、第6番が第1番、第5番が第3番、(第1〜4番は未出版)とされていました。いつから、現在の番号になったか詳しくは分かりませんが、ウィキペディアによれば現第1番の出版が1961年ですから、そのころからではないかと思います。 実は中学生の時吹奏楽部の部室で「交響曲第5番『新世界』」という楽譜を見て、「何だこれは」と思ったことがあったのです。ずいぶん古い譜面でしたがね。それでも戦前のものではないと思います。 こんな感じで、知らないうちに曲名が変わっていることがあるのです。曲名の呼び方で、歳がバレるなんてこともあるかもしれません。 【参考文献】 ウィキペディア フリー百科事典 http://ja.wikipedia.org/wiki/アントニン・ドヴォルザーク http://ja.wikipedia.org/wiki/だったん人の踊り http://ja.wikipedia.org/wiki/シューベルト |