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72.独学

2007.2.3


 作曲家のプロフィールを見ていると、時々「独学で作曲を学んだ」という解説を見ることがあります。わたしはこの「独学」という文字を見ると、内心ほくそえんでしまうのです。「私と同じだ」と。
 まぁ、これは私の音楽に関する専門教育を受けていないというコンプレックスの現われなのですが、それにしても世界的な大作曲家を捕まえて自分と同じだと思うのは、やっぱりおかしいですよね。例え、音大で学んだとしても同じような成果を出せるものでもないでしょうし、本当に「独学」という言葉のみが同じだけです。独学といっても私の場合は、このサイトで書き散らしている程度のものなのですが。

 それでは、独学で音楽を習得したとされる音楽家をざっと探してみました。出典は講談社学術文庫のクラシック音楽鑑賞辞典です。

シューベルト
 彼は、一七九七年一月三十一日、ウィーンの郊外リヒテンタールに、貧しい教師を父とした家庭に生まれた。幼いときから、音楽好きの父と姉に導かれて、その天性はすくすくと芽をのばし、ほとんど独学で音楽を研鑽した。彼の傑作、作品一番の「魔王」は、弱冠十八歳のときの作品である。

ワーグナー
 一八一三年五月二十二日、ドイツのライプチヒに生まれた。父親は官吏だったが、高い芸術の教養を持ち、戯曲に深い理解を示したという。ワグナーは、その教養の大半を独学で得たが、ヴェーバーのドイツオペラ、ベートーヴェンの交響曲、シェークスピアの戯曲は、彼のもっともよき師匠だった。

ヴェルディ
 ヴェルディは、一八一三年十月十日、イタリアのロンコールという一寒村に生まれた。貧しい家庭の子供として十分な教育も受けなかったが、はやくから音楽的才能に恵まれ、八歳のとき村のオルガン教師についてオルガンを教わり、一年もたたぬうちにすっかり卒業して教師を驚かしたという。

フォスター
 フォスターは若いころ、ドイツ生まれの音楽家クライベルからわずかの基本的な家庭を学んだに過ぎなかった。

ムソルグスキー
 一八九三年三月二十一日、ロシアのカレヴォに生まれ、幼いときから母親についてピアノの手ほどきを受けた。九歳のとき、リストの作品を手がけたというから、その英才のほども察せられる。のち、士官学校に入って一八六五年に卒業し、近衛連隊に任官した。その時分は音楽が好きで、片時もピアノの側を離れなかったという。
(中略)
 彼は先輩知己の忠告を唯一の頼りとして、もっぱら独修で音楽の教養を作った。

シャブリエ
 フランス近代音楽の先駆者であるシャブリエは、一八四一年一月十八日、フランスのビュイ・ド・ドームに生まれ、一八九四年九月十三日にパリで亡くなっている。シャブリエが本当に音楽に身を投じたのは一八八〇年、彼の三十九歳のときであるから、音楽家としての生涯は短い。しかし、フランクらとともに熱烈なワーグナー主義を提唱して活躍した業績は大きい。

リムスキー=コルサコフ
 彼は正規の音楽教育を受けなかった。彼は海軍の仕官であった。音楽はむしろ余技であり、道楽だったが、海軍生活を終えてからその天分はめきめきと鋭鋒を現し、キュイ、バラキレフ、ボロディン、ムソルグスキーとの交わりに伴って、堂々と押しも押されぬ大家になった。

エルガー
 一八五七年六月二日、イングランドのブロードヒースに生まれ、オルガン奏者である父に手ほどきを受けて、はやくから父の助手としてオルガンを演奏していた。その後はほとんど独学で作曲、指揮演奏法などを学び、十二歳のとき、最初の作品「青年の指揮棒」を書いた。

ヴォルフ
 一八六〇年三月十三日、オーストリアのヴィンディッシュグレーツに生まれ、一八七五年、ウィーン音楽院に入学し、ピアノおよび和声を学んだが、学校と折り合わず放校され、以後、独学でして多くの歌曲を作曲、不朽の名をとどめるにいたった。

シベリウス
 一八六五年十二月八日、フィンランドのヘメーンリンナに生まれた。九歳でピアノの手ほどきを受けたが、十五歳のときから軍楽隊長にヴァイオリンの奏法を習い、二十五歳までつづけた。そして、そして独学で作曲法を研究。かたわらヘルシンキ大学に入学して法律を学ぶと同時に、ヘルシンキの音楽院にも入学した。

 
 意外な大御所が独学で音楽家になっていますね。リムスキー=コルサコフなんか道楽だって言うんだから。あの素晴らしいオーケストレーションはどのようにして生まれたのでしょうかね。

 古典以前の作曲家は、親が宮廷音楽家であることがほとんどで、親や宮廷音楽隊から学んでいます。独学の人はいません。一般庶民の場合は、受けられる音楽教育というのも無かったわけで、音楽家になった人は皆無ですね。そりゃあ住んでいる世界が違うわけで、当然といえば当然です。
 ロマン派以降になると、一般庶民でも音楽院を出て音楽家になる人が多くなります。貧しい家の出身の人も多いです。

 さて、それでこれらの独学の人たちですが、やはり独学とはいえ、幼い時分から親から楽器の手ほどきを受けたりして、早いうちに才能を開花させていますね。まるっきり自分だけで音楽を習得した人はいないようです。シベリウスなんか後から音楽院に入学していますしね。

 私の場合はどうでしょうか。幼い時分には弟が某電子オルガンを習っていて、家に鍵盤楽器はあったのですが、自分では何も演奏できませんでした。自分として音楽活動を始めたのが中学校の吹奏楽部で、しかも卓球部で挫折してブラブラしていたところを、悪友に引き込まれたわけですから、立派なスタートとは言えないですね。
 このようにして考えれば考えるほどコンプレックスは深くなっていくのです。そして音楽家が独学だという話を聞くと、少し安心して、こんな駄文を書いたりしているわけです。


【参考文献】
クラシック音楽鑑賞辞典 / 神保m一郎 / 講談社学術文庫

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