後の祭り タイトルに「祭り」の入った曲は難曲が多いので、コンサートなどで後に難曲を控えているときの演奏者の心理状態を表す。 確かに「デュオニソスの祭り」、「ローマの祭り」、「深層の祭り」、「3つのノクターンより《祭り》」、「吹奏楽のための抒情的《祭》」など、難しい曲ばかりだ。 笛吹けど踊らず 笛(フルート)だけが頑張っても、楽団全体のノリは良くならないと言うこと。「ひとつのパートだけが頑張っても良くならない」と言う意味に捉えられるが、別の楽器、例えばトランペットなどのノリがいいと全体のノリが良く聴こえることもあるので、「能力に見合ったことをしましょう」という意味である。 目は口ほどにものを言う 演奏が始まってしまうと指揮者は声を出して指示を出せなくなるので、目をもって意思を伝えること。 また、ときとして「バカヤロウ」という感情が伝わってしまうこともあるので注意が必要である。指揮者はそこまでコントロールしないといけないと言うこと。 足が棒になる 指揮者が下手な楽団の練習をしていると、イライラしてきてそのうち足で床を蹴って拍子をとるようになることから、足が指揮棒の代わりをすること。転じて、下手な楽団の練習を見ること。 仏の顔も三度まで 三度のハーモニーは音程が取りやすく心地よいが、それ以上は音程が怪しくなって心地よく響かないということ。(真偽の程は定かではなく、迷信と言う説が強い) あちらを立てればこちらが立たぬ 演奏後の喝采の中で、指揮者は好演した奏者を立たせるが、指示した以外の人が立ってしまい、指示した人が立たない。改めて指示することも出来ず、結局立たせられなくなってしまうこと。 Soliが合わない Soliとは複数の奏者で独奏部を演奏すること。演奏者の反りが合わないとSoliは合わないと言うこと。やっぱり演奏者たちは仲良くないといけません。 風が吹けばオケ屋が儲かる 「風」とはすなわちWinds、管楽器を表す。管楽器の活躍する曲は観客動員が望め、オーケストラは儲かると弦楽器奏者たちが皮肉ったと言うが、真偽の程は定かではない。 六あれば九あり 交響曲を6番まで作曲できれば、9番までは作曲できるとベートーヴェンは言ったらしい。しかし、チャイコフスキー、プロコフィエフ、シベリウスなどはそれが出来なかった。 「あるところまで頑張れば、それ以降も頑張ることができる」と言う意味らしいが、例外も多数あるらしい。 七転び八起き 交響曲第7番で失敗して第8番で取り返すと言う、、、そんな人いたか? (2006.11.19補筆) いた! シューベルトである。現在の国際シューベルト協会によれば交響曲第7番『未完成』で第8番が『ザ・グレート』である。 ということは、シューベルトも6番を書いて9番まで書けなかった一人だな。 |