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39.最近読んだ本から

2006.6.17


 「裏べー全編」の方にその日に買った本など書いておりますが、今回は読んだ本について簡単なコメントをしてみたいと思います。大したことは言えませんから、簡単にです。

 西洋音楽史 / 岡田暁生 著 / 中公新書
 本書は、まえがきの言葉を借りれば、
 〜この本の主役は、西洋音楽の「歴史」であって、個々の作曲家や作品ではない。ごく一般的な読者を想定して、可能な限り一気に読み通せる音楽史を目指し、専門用語などの細部には極力立ち入らない。そして何より、中世から現代に至る歴史を、「私」という一人称で語ることを恐れない。〜
 という本です。私のように作曲家や曲の好き嫌いのある人も、歴史という観点で読めるので、自分の好きな作曲家がどんな位置付けにあるのかを知るのによい本です。中学、高校の音楽の授業もこんな風に教えてくれたら良かったのに、と思ったものです。(いや、ちゃんと先生は教えてくれていたのだと思うぞ)

 音楽史 ほんとうの話 / 西原稔 著 / 音楽之友社
 こちらも「はじめに」から引用してみますと、
 〜この書物では音楽史を年表風にひもとくのではなくて、何人かの各時代を代表する作曲家をとりあげて、彼らがそれぞれの時代にどのように映っていたのかという視点から音楽家を眺めてみたい。〜
 という「西洋音楽史」とは逆の観点で書かれた本です。作曲家のエピソードなど面白く書かれていて読みやすい本です。ちょっと残念なのが私の好きな後期ロマン派以降に割かれたページが比較的少ないことでしょうか。
 
 両方の本を読んでみるとお互いを補っているような感じで、音楽史について理解が深まります。お薦めです。このように180゜観点が違う本が同じ時期に出版されるのも面白いですね。

 オーケストラ / アラン・ルヴィエ 著 / 山本省・小松敬明 訳 / 白水社 文庫クセジュ
 「文庫クセジュ」とは1941年にフランスで発足した文庫で、日本の新書にあたるような本です。オーケストラの歴史、変遷について書かれています。著者がフランス人ということでフランスの作曲家を褒め称えるように書かれているかと思いましたが、公正に客観的に書かれていました。
 「音楽史 ほんとうの話」で不満だった後期ロマン派以降、現代まで、よく書かれています。前の2冊に比べて、学術的に書かれているのでちょっと読みづらいかなと思います。

 この3冊の本を読んで、音楽史上かなり大きな事件だったのだな、と解ったのは、ベルリオーズの「幻想交響曲」ですね。

 ベートーヴェンより前というのは音楽は、教会・宗教、権力者、貴族のために作曲されるもので、作曲家が自分の書きたい音楽を書ける訳ではなかったのですね。(まぁ、その中ではJ.S.バッハなんて人は自分のやりたいことをやっていたようです。ですから、存命中は人気は無かったようです。)
 それをベートーヴェンは「音楽は芸術だ」と言い、庶民に聴かせる自分の書きたい音楽を作り出したのです。これ以降、作曲家は自分の書きたい曲を書けるようになったのですが、、、

 「第九」の初演からわずか6年後、ベルリオーズは「幻想交響曲」を作曲します。
 作曲の動機というのが、失恋の恨みつらみですよ。ベートーヴェンだって自由に作曲したといっても「第九」なんて曲は崇高な思いが込められているわけです(多分)。ちょっと考えてみてください。少し前までは自由に作曲できなかったのに、こともあろうにこの男(ベルリオーズのことですよ)は、失恋の恨みつらみですよ。失恋の恨みつらみ
 すみません、興奮してしまいました。

 それはさておき、「幻想交響曲」の画期的なのは管弦楽法です。それまでは考えられなかった大編成と、楽器の発明・発達とあいまってオーケストレーションは非常に表現力を持ちました。私たちが現在耳になじんでいるオーケストラの響きはこのときに形作られたのだと思います。

 そういうわけで今日(6月17日)「幻想交響曲」を生で聴いてきたのですが、そのとおりの凄い曲でした。第5楽章は正に狂気でしたね。生で聴いたのは初めてだったのですが、CDなどでは伝わって来ない凄さというのがあります。
 
 さて、今日のコンサートで最初にやったのが歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲。この曲、学生時代にコンクールでやったことがあるのです。そして、その練習をしていた時期に、私は、大失恋をしたのでした。聴きながらいろんなこと思い出しちゃいましたねー。

 私にとって、ベルリオーズは失恋の象徴、、、なのかな。
  

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