私には、特に関連の無いものについてふと「似ている」と感じる癖があります。まあ、その「似ている」と思ったことを人に話してもほとんど賛同を得られないのですが。 今回もきっと賛同していただける方は少ないと思います、、、。 #25で書きましたとおり、『田園』をまともに鑑賞したことはごく最近まで無かったのです。第一楽章の冒頭なんかはよくいろんなところで耳にしますので、それだけで知った気になっていたのですが。 それで、最近になってようやくまともに聴いてみて、ふと思ったのです、ふと。 『マーラーの交響曲に似ている。』 特定の交響曲に似ているというのではなく、雰囲気がマーラーっぽいって言うのか、、、 いや、だからね、本当に「ふと」思っただけなんですよ。べつに深い根拠があるわけでも、資料を調べて検証したわけでも無いのです。 しかも、ベートーヴェンの方が時代が先ですから、言うならばマーラーの方が似ているというべきでしょう。でも、私にとってはマーラーの方を先によく聴いていましたから、まあ、そういうことです。 で、そう思ってから、どうしてなのかを考えてみました。 1.長いメロディーが延々と続く 『田園』はベートーヴェンの交響曲の中では珍しくメロディーが長いのです。そして繰り返されます。その辺り、マーラーのだらだら延々と続く感に似ていますね。まあ、ベートーヴェンの方がずいぶんスッキリしていますが。 2.各楽章に表題がついている 『田舎に着いたときの楽しい気分』とか『小川のほとりの風景』とかかなり明確な表題が与えられています。ベートーヴェンのほかの交響曲には見られませんね。マーラーの場合は楽章だけでなくいろんなところにいろんな説明がされています。 3.劇的である 第4楽章の嵐なんかは、まさに劇的です。マーラーにはこういう派手な楽章がよくありますね。 4.オーケストレーションが緻密 『田園』はベートーヴェンの交響曲の中ではパートが多く第2楽章の独奏チェロなど緻密なオーケストレーションがされています。もちろんマーラーに比べればカワイイものですが、ベートーヴェンの時代では稀なオーケストレーションでしょう。 5.交響曲の形式から外れている 通常4楽章の交響曲を5楽章にしてその上第3楽章から第5楽章までは続けて演奏するという、交響曲というより後の交響詩みたいです。マーラーについては言うに及ばずですね。 6.カッコーの鳴き声 『田園』第2楽章の終わりの部分、マーラー『巨人』第1、4楽章。短絡的ですけど。 と、本当に思いつくままに、『田園』がマーラーに似ているなぁ(いや、『田園』がマーラーの先駆けなのですよ)と思うことを書き出してみました。どうでしょう、似てると思えませんか、、、。 ちょっと気になって、インターネット上で検索してみましたが、『田園』とマーラーについて言及されているものは見当たりませんでした。 やっぱり、こんなことを思うのは私だけかぁ。 |