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25.理由

2006.2.11


 前回、「シベリウスとブルックナーは嫌いなのだが、嫌いになった理由が思い当たらない。」と書きましたが、シベリウスについてはいろいろと考えているうちに理由を思い出しました。

 まず、私がクラシック音楽を聴き始めた辺りのことから書かなければなりません。
 聴き始めはやはり中学時代に吹奏楽部に入部して音楽が非常に身近になったからでしょう。それまでは熱狂的ではないにしろ歌謡曲を聴いてました。歌詞の無い曲(インストゥルメンタル)なんかはつまんないと思っていましたからね。それが吹奏楽を始めて、クラシックやら吹奏楽曲やらに熱中するようになったわけです。

 どのようにして、聴く曲を選んで来たかというと、当時はFMラジオで放送される曲を片っ端からカセットテープに録音したのでした。といってもカセットテープを買うお金もそれ程無かったので、たいした数ではなかったのですが。
 それから、吹奏楽コンクールに出場すると他校の演奏を数々聴くことができますから、その中で「いいな」と思った曲のレコードを買ったりするわけです。シベリウスについては、交響詩「フィンランディア」が演奏されることも度々ありましたから、全く知らない作曲家では無かったのです。

 さて、嫌いになった理由です。
 それは、やはり中学時代の音楽の授業でした。音楽の先生(吹奏楽部の顧問でもあったのですが)が授業で、
「シベリウスという人は、晩年は年金で生活してあまり作曲をしなかった。」
と言ったのです。もちろん教科書には載っていない余談としてですけど。
 私は、「芸術家というものは、食うや食わずでも死ぬまで作品を作り続けるものだ」と思い込んでいましたので、「年金で生活して作曲をしなかったシベリウスはケシカラン。」と断固思ったのです。
 まさに、洗脳状態です。先生の一言でシベリウスの曲を聴こうという気は更々無くなってしまったのです。

 もうひとつ、似たような話がありまして。
 同じ中学時代の吹奏楽部仲間で「マーラーの『復活』最高。」なんてことを言っていた、なかなか生意気なヤツがおりました。
 あるときヤツが「ベートーヴェンの交響曲全集を買った。」というのです。そして「9曲のうち1曲だけまだ聴いていない(聴く気にならない)のだが、何番だか分かるか?」と聞いてくるのです。
 それで私は「6番『田園』か?」と答えたのです。私自身は、第九と『運命』の第一楽章くらいしか知らなかったので、あてずっぽうだったわけですが。まぁ、大衆が好む曲は程度が低いとでも思っていたのでしょう。
 ヤツの答えもそのとおりで「『田園』つまらん。」などとほざいておりました。
 そんなことが呪縛となって、私はこのホームページを始めようと思うまで『田園』を聴かなかったのですねぇ。 しかし『田園』は、、、いや、待てよ。これは別のページに書きましょう。

 どうも、私はクラシックを聴き始めたころに聞いた他人の言葉に影響されて聴かず嫌いができたようです。
 それにしてもブルックナーな嫌いな理由は思い当たりませんが、「ただ、やたら長い」ということのような気がします。
 

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