第1話 出会い

 
 早朝、電車に乗って出立することにした。軍が用意する高機動車で送ってやるという話もあったが遊はそれを断った。三時間くらい早起きしなければならないが一人の方がずっと気楽だ。

 すっかり着慣れたモスグリーンの制服を身につけ遊は一年間通った校舎を後にした。校門を出る時、かりそめとは言え共に死線をくぐりぬけた仲間達のことが頭をよぎる。でもすぐに頭を振ってそのイメージを打ち消した。数時間後には敵となる相手だ。

 感傷は判断を鈍らせる。

 トリガを引くタイミングを遅らせる。

 障害にしかならないのだ。

 遊は無人駅で切符を買ってホームを見る。ちょうど空色の車体が滑り込んでくるところだった。遊は肩に下げていたトートバッグを揺らしながら両側に開いた扉に駆け込んだ。トートバッグには愛用の機銃をバラして入れてある。だから結構走りにくかった。

 ぷしゅうという空気音がして扉が閉まった。ドアエンジンが車内排気らしい。遊以外には乗客は誰もいない。それでも遊は座席に座らずスタンションポールに右手をそえて立つことを選んだ。不測の事態が発生したとき、その方が早く対処できると考えたからだ。ここは戦場ではないのに馬鹿らしいとは思う。けど身体に染みこんでしまっている。

 電車が緩やかにカーブした。

 トートーバッグの中で小さな金属音。遊が何度も聞き続けた音だ。あと何度この音を聞けるのだろうと、ふと思った。いや何度聞かなくてはいけないのだろう。遊は右手の人差し指を見た。第一関節のところがごつごつしている。

 トリガを引き続けたからだ。

 敵を殺し続けたからだ。

 今まで遊は敵の兵士を九十四人殺してきた。左手首に四六時中装着している小型カウンタがそう教えてくれている。初めてトリガを引いたのは訓練のときだった。じゃあ、初めて敵を撃ったのはいつだったろう。遊が県立の軍事訓練学校に志願したのは八月のことだ。そして初めて戦場に送られた時にもまだセミは鳴いていた。最悪の作戦だった。補給部隊を援護するのが遊の所属する部隊の役割だった。が、パラシュートで降下する際、地面から敵が撃ってきた。味方が降下ポイントを間違えたのか、敵部隊が情報よりも早く拠点を制圧してしまったのかはわからない。わかっているのは遊の部隊が敵から見て格好の的になっている、という事実だけだ。仲間は次々と無抵抗のまま殺されていった。向こうは対人用の狙撃銃を使っているらしくこちらより射程が長い。空中では避けることもできない。仲間達はゲーム的にどんどん射殺されていく。遊は状況を判断する。相手の戦力は読めないが、たとえ空中で狙撃されずにすんだとしても降下した瞬間、囲まれて蜂の巣にされるのは目に見えている。地上に降り立つ前に少なくとも今自分を捕捉している敵は壊滅させなければ生き残れない。こちらの射程に入ってから着地するまでの数秒。この間が勝負だ。射程に入る前に殺されるかどうかは運まかせ。

 たぶん死ぬんだ、と思う。

 それは別に構わない。

 だけど痛いのは嫌だしシューティングゲームの雑魚キャラみたく扱われるのは腹が立つ。

 遊は機銃をフル・オートに切り替える。

 敵を探す。

 弾が肩をかすめた。パラシュートが気になったが目は地面から離さなかった。

 このスピードなら射程まであと十秒。

 カウントする。

 一、二、三……。

 敵の数を確認した。七人。カウントも七。

 相手の動きに何となくだが動揺が読み取れた。八。

 まさか反撃の機会がこっちに回ってくるとは考えもしなかったのだろう。

 馬鹿だ。

 ここは戦場なのに。殺し合いをしてるのに。九。

 息を吸い込む。心臓が高鳴る。

 でも躊躇はしない。

「十」と口にしてトリガを引いた。

 遊はその後数秒間のことをよく覚えていない。

 カウンタのデジタル表示が0から7に変わっていた。

 音がして扉が開く。

 扉の上部にある電光掲示板が目的地に着いたことを示していた。

 遊は金属音をカチャカチャ鳴らしながらホームに降り立つ。空を見上げれば入道雲。攻撃的な真夏の陽光が首筋を刺す。冷房の効いた車内に戻りたくなった。でもとうに電車の姿はない。コンクリートに落ちた濃い影を引き連れて遊は屋根のある改札の方へと急ぐ。ここも無人駅のようだ。腰くらいの高さの鉄柵にクッキーの空き缶が針金でしばりつけてある。中をのぞくと切符が数枚入っていた。遊もその中に切符を放り込んだ。鉄柵を通過して改札を出ると木製のベンチがひとつだけある。白いノースリーブのワンピースを着た少女が座っていた。遊の足音が聞こえたのか、少女は文庫本を読む手を止めて視線を遊の方へと向ける。

 目が合った。

 少女はすぐに破顔した。

 小さな子供が好きな人に向けるような無警戒で無防備な笑顔だと遊は思った。

「南野さんだよね?」

 少女は目を細めたまま長い黒髪を揺らして立ち上がった。白と黒のコントラストが目に眩しい。まるで薄暗い倉庫に放置された名画のように、古く汚い駅舎の中で彼女の存在が非現実的な美しさを放っていた。

「そうだけど……」

 遊は戸惑う。話しかけられるとは思っていなかった。

「東雲薄荷《しののめはっか》。南野さんを迎えに来たんだよ」

 自らを薄荷と名乗った少女は遊の方へ近づいてきた。

「あ、そうなんだ。でも、東雲さんは」

 遊は薄荷のような一般人が何故そんなことをするのかわからなかった。

 しかし、すぐに気がついた。

 カウンタ。薄荷の左手首には遊と同じものが装着されていた。

「兵士なんだ」遊の口から自然に言葉が落ちる。

「うん」薄荷は笑顔のまま答えた。「荷物はそれだけ?」遊のトートバッグを薄荷が見る。

 遊は頷いた。

「機銃、自分で運ばないと不安だった?」

「うん。だけどよくわかったね。あ、音聞こえた?」

「聞こえた」薄荷はくんくんと鼻を鳴らす。「あと匂い」

「硝煙くさいってこと?」

「違うよ。血の匂い」

「私にはわからないけど」

「そう? 南野さんの機銃はいい匂いがするよ。僕のに似て、」

 薄荷の言葉を乾いた音が遮った。

 遊が対人用狙撃銃だと思うより、

 敵の居場所を認識するより、

 相手の死角を探すより早く、薄荷が遊の手をとって駅舎を飛び出した。

 どうして? 却って的になるのに――

 遊が問う前に薄荷が叫んだ。

「伏せて!」

 駅前のロータリーには幌を張った高機動車が一台止まっていて、薄荷はヘッドスライディングをするように高機動車の下に潜りこむ。遊もほとんど同時に薄荷の動作をトレースした。

 聞き慣れた爆薬が破裂する音が駅舎のほうから聞こえてきた。

 同時にアスファルトの地面から地響きが伝わってくる。

「――バラバラにならずにすんだね」

 薄闇の中で薄荷が白い歯を見せた。見た目よりもずっと度胸が据わっている。きっと戦闘回数が多いのだろう。

「東雲さん、武器は?」

 遊は寝転んだ体勢のまま、トートバッグから取り出した機銃を組み立てながら薄荷を見た。

「上に積んであるよ」薄荷はごろごろと身体を転がす。「取ってくる」

「待って」遊は薄荷の腕をつかむ。もう機銃は組みあがっていた。

「出ても平気かな? さっきのライフルが撃ってくるよ」

「平気なんじゃない? 下手っぽいし」

「さっきのはわざと外したんじゃない? 確実に殺したかったら撃たずに爆破させたほうがいいもん」

「遊ばれてるってこと?」

「うん、きっとなぶり殺す気だと思う。でも、何でこんなタイミングで戦闘がおきるの? こんなの時間割にないよ」

「ここ前線だからこういう突発イベント多いよ。一般の人も時々巻き込まれて死んじゃうくらいだし。南野さん知らなかった?」

 遊は答える代わりにため息をついた。

「でも、たぶんもうすぐ別の敵が来るからそろそろここから出たいよね」

 確かにそうだ。遊はさっきの発砲から敵の位置を予測する。ロータリーには他の車両はない。死角となる場所まで走って約五秒というところだ。車に乗り込んでエンジンをかけるのも同じくらいか。

「同時に出るしかないと思う」

 薄荷はいきなり結論を出した。でも遊も同じ考えだった。

「悪くても一人は生きてここから出られるから……それでいい?」

「いいよ」遊は即答する。

「もし僕が怪我して倒れても、無視して逃げて」

「わかった。私もそれでいいから」

「じゃあ、もう行く?」

「その前にひとつ教えて」

「何?」

「どうして駅が爆発するってわかったの?」

「……匂いかな?」薄荷が小首を傾げた。

「また匂いなんだ」

 薄荷の答えに遊は少し笑った。薄荷も微笑んだ。

「行こう」薄荷が匍匐前進で車の扉の真下まで移動した。車に乗り込むつもりらしい。遊は敵の死角と思われる場所へ向かうことにした。

「いい? 南野さん」

 後ろで声。

 遊は「うん、さよなら」と答えた。

 薄荷も「さよなら」と返す。

 二人は再び夏の光の下へと飛び出した。

 遊はジグザグに走る。

 すぐに銃声がした。

 遊の真後ろ。

 狙われたのは薄荷だった。

 遊は振り返りたい気持ちを押さえ込む。

 ジグザグに走るのを止めて、死角に向かって一直線に駆けた。

 また発砲。

 発砲、発砲、発砲。

 遊は古いポストの陰に隠れて、すぐに薄荷の方を見た。

 路上に薄荷の姿はなかった。

 弾丸は当たらなかったようだ。

 遊はほっと息をつく。敵の狙撃手は本当に下手なようだ。

 注意深く周囲を見渡す。周りには誰もいない。この街も遊のいた街と同様に半分、廃墟みたいなものだった。かろうじて機能してると思われる店も今は軒並みシャッターを下ろしている。皆家の中で震えているのか。それとも嬉々としてこのイベントを楽しんでいるのか。電柱に取り付けられたCCDカメラが遊を捉えるために無機質な音を立ててレンズを向ける。イラだつ。私達をゲームのコマにして遊ぶ金持ち共の薄ら笑いをレンズの向こうに感じる。殺したい。安全なところに逃げ込んでいる奴らを皆殺しにしたい。事故を装ってトリガを引きたい。

 ロータリーに敵の高機動車が進入してきた。遊は瞬時に思考を切り替える。見たことのある車種。確か乗員は最大で十名だ。あの中の兵士が降りてきたらもうアウトだ。

 降りる前に殲滅する。

 遊は機銃をスリー・ショット・バーストに切り替える。フル・オートだとあっと言う間に弾切れにしてしまう。射程ギリギリでフロントガラスの向こうにいる運転手を狙う。防弾ガラスだが、同じところを三度撃てば確か貫通したはず。まだ敵は薄荷の乗っている車両にしか注意がいっていない。狙撃手から連絡がいっていないのか。助かる。敵に無能なのがいるのは本当に助かる。

 トリガを引いた。

 フロントガラスが一瞬で白くなる。一人殺した。

 すぐに助手席の男にトリガを引く。二人。

 敵の車が車道を越えた。駅舎の壁に車体を擦らせて停車する。

 遊はポストの陰から飛び出した。

 もう馬鹿な狙撃手に構ってはいられない。あと八人殺さなくてはどうせ終わりだ。

 扉が開く。

 敵。

 トリガを引いた。

 敵、敵、敵。

 トリガ、トリガ、トリガ。

 これで六人。

「南野さん、避けて!」

 薄荷の声がした。遊は反射的に左へ体をかわす。

 直後、さっきまでいた場所に弾道が引かれた。例の狙撃手か。

 声がした方向へ視線を移す。

 ワンピースの上に防弾ジャケットを羽織った薄荷が車から転がり出た。

 敵は二人いた。

 土煙があがって、すぐに倒れた。

 薄荷は地面を転がりながら機銃を撃ちまくっていた。

 しかもフル・オート。何て器用なんだ。

 敵の車両のボンネットが火を噴いて口を開く。

 慌てて車から残り二人の敵が降りてきた。

 敵は手を上げて何か言おうとしていたみたいだったが、全部言い終わる前に薄荷がトリガを引く。

 これで十人。

 薄荷は狙撃手がいると思われる方向に機銃を向けて、一度だけトリガを引いた。

 もちろん届きはしないが、見つけ出して殺すというメッセージだ。

 もう弾は飛んでこなかった。逃げたのだろう。

 薄荷は遊に笑って見せた。

「生き延びたね」

 遊は人差し指の第一関節を親指で撫でながら答えた。「なんとかね」

 薄荷はワンピースについた土埃をはらう。

 そして「よかったじゃん」とウインクをした。

「――どうかな」

 遊はぽつりとそうこぼした。

 薄荷はそんな遊を見て、また目を細めた。