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400.何故生きる 

2014.3.15


 最近放映されているTV-CMです。
 オフィスにて、
先輩女子「わかんないことがあったら、何でも聞いてね」
新人男子「人は、なぜ生きるのでしょう…」
先輩女子「えっ…」

 先輩女子には、何か答えて頂きたいものですがそうするとCM枠では納まらなくなりますので、これで良いのでしょう。

 『何故生きるのか』ということは、誰しも考えるものなのではないでしょうか。しかし、答えは簡単に見つかるものではないでしょうし、正解も、間違いもいくつもあるでしよう。
 私んなかも「何故生きるのか、ではなくて、生きるためには何をするのか、だ。」なんて知ったようなことを言ったりしていました。生きていくには理由はいらず、頂いた人生を全うするもの、という意味で捉えていたのですが、何も解ってはいませんでした。

 同じ様な考えからか、「人生とは、待つこと」と考えていたこともありました。卒業、就職、結婚…など、人生には節目があります。その節目とはほとんどの場合、現状からの脱却や変化であります。そういったものを待つことが人生だと。そして最後に待っているものは人生の終焉「死」です。とどのつまりは、「人生とは死を待っているもの」という終末的な考えにもなっていました。待つこととは、結局は現状から逃げたいという思いであり、今この瞬間を充実させていない事ですから、良い人生観ではないですね。

 そんな風に生きてきた訳ですが、最近になって少しわかった様な出来事がありました。

 昨年暮れに中古自動車を購入した際の事です。その販売店の営業の方がとても親切で、親身になって話をしてくれるのです。ご自身も自動車がお好きとあって営業という仕事を感じさせないのです。本当に楽しく接して下さるのです。勿論、仕事という側面では真面目に対応してくれます。
 私は、嬉しくなったのです。今まで、営業マンと言うと「売るためには、どんな手段も使う油断ならない人間」という思いがありましたから、こんな風に思うこともなかったのです。

 「人に喜んでもらうこと」が、何故生きるのか?の答えの様な気がしました。人の為に生きるのではないです。人に喜んでもらうことが自分の喜びになるということです。一歩間違うと独善的にもなりますから、注意は必要ですけれど。

 では、私は今まで人に喜んでもらう事をしてこなかったのかと言うと、そうではないのです。
 30年間の会社勤めのうち10年間と現在は、営業のサポート業務を行っています。営業さんとユーザーさんが解決したいことをサポートしています。場合によってはとても喜んで貰ったこともあります。しかし、それはお互い仕事で行ったことであり、喜んでもらうためになんてさらさら考えていませんてした。
 そして、このサイトで行っている楽譜の提供。実際に譜面を使った演奏会に伺い、喜んでいただいたことを実感したこともあります。それでも、そのために譜面を作っている訳ではないのです。自分の譜面作りは自己満足の世界であり、その成果物を良ければ使ってください、という程度の思いでした。ですから、使う人のためを思って作っているかと言うと、若干違うのです。

 自分は、人が喜んでくれそうなことを沢山してきたのですが、そんな意識が無かったために、やっつけ仕事になったり配慮が足りない中途半端な物になっていたりしたのです。

 何の為に生きるのか、が少し解ったところ(50才を過ぎましたけれど)で、それが実現できるように生きていきたいと思います。

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