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49.「ですます」である

2006.8.26


 このウェブサイトをご覧の皆様はすでにご承知のとおり、ここに書かれている文章の文体は「です・ます調」です。例外として、雲吹コンサートの曲目解説だけは「だ・である調」で書いていますが。
 ちなみにフリー百科事典Wikipediaによれば、「だ・である調」を常体、「です・ます調」を敬体といいます。

 ネット上には雑文サイトが沢山ありますが、その殆どが「常体」で書かれているようです。「敬体」で書かれているのはほんの少数です。全部見たわけではないですけど。

 わたしだって、通常文章書く場合は「常体」の方が書きやすいのです。学生以降に、書いた論文、報告書はすべて「常体」でしたし。なのに何故わざわざ「敬体」で書いているのか。

 このサイトを始めるに当たって、最初に悩んだことのひとつでした。いくつかは「常体」で書き出したのもありましたが、途中で読み返してみると、断定的で高圧的で、なんだか気持ちよく読めなかったのですね。「何でそんなに偉そうに言うんだよ」って感じで、わたしはそこまで偉い人間ではないのですよ。でも、他人の文章を読むときはそうは思わないのですが、不思議ですね。
 調べるべきところは調べていますし、間違いは書いていない(冗談やボケは書きますが)つもりですが、人に読んでもらいたくて書いているわけですから、高圧的ではいかんなぁと思って、「敬体」で書くことにしたのでした。多少回りくどい文章になってしまうのは仕方ありません。
 「裏べー全編」の方は自分のつぶやきですから、基本的に「常体」で書いています。でも、ときどき皆さんに語りかけてしまう内容のときは「敬体」になります。ということで、統一感がなくなっておかしなブログになっています。

 最近、クラシック関係の本で鈴木淳文さんの新書をよく読むのですが(と言っても4冊だけでした)、この方の文章は「常体」基本で時々「敬体」「口語体」が混ざると言う、真面目とざっくばらんが同居したものになっています。小中学校では絶対教えてくれない書き方ですね。
 結構楽しく読めてしまうので、筆力(とその裏にある知識の量)がある人は違うなあと恐れ入っております。

 自分の文体も、いつか悟りを開いたら代わるかも知れません。それまでは、「ですます調」で、のほほんと書いてまいります。

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