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14.新聞記事って、、、

2005.9.17


 9月14日の朝日新聞文化総合面に『音もハートもブラスが熱い』という見出しの記事が載せられていました。吹奏楽がこのように大新聞で紹介されるのは、一般の人にも理解を深めてもらうにはいいことだな、と読んでみたのですが、その内容に「何だこれ?」と思ってしまいました。女房も読んだのですが「おかしい、吹奏楽の記事なのになんでオーケストラのことが書いてあるの?」と同様の感想。
 読まれてない方のために、要約したものを次に載せてみます。
 

音もハートもブラスが熱い
学校発、独自文化に


吹奏楽が熱い。プロ吹奏楽団のCD、テレビのドキュメンタリー番組が人気だ。学校教育の場に普及し、日本独特の文化となった吹奏楽を追った。

人口100万人規模?
 「佐渡裕ヤング・ピープルズ・コンサート」では子どもたち約200人がシエナ・ウインドと共に演奏していた。「楽器に触れることのできる日本。楽器を吹けることは宝だ」と佐渡さんはいう。
 日本の吹奏楽人口は100万とも言われる。吹奏楽コンクールは「吹奏楽の甲子園」と呼ばれる。8月にのぞいた高校吹奏楽部の練習は迫力満点。
 日本テレビではドキュメンタリー「吹奏楽の旅」が、ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞した。プロデューサーは「高校生の熱いドラマに感情移入した人が大勢いたのでしょう」と話す。
 神奈川県立野庭高の吹奏楽部OBらは、CD「音楽は心」を編んだ。全国大会金賞6回を成し遂げた指揮者、故中沢忠雄さんにささげるCDだ。関係著以外にも、約1600枚売れた。 部長を務めた宮本雅彦さんも、こう語る。「一つのことに打ち込んだ自信が生まれました」

「敬遠せずオーケストラも」

 吹奏楽は幕未に、日本に入ってきた。初めは行進や式典用だったが、演奏会場で演奏する機会が増え、大編成に成長した。
 金管楽器と木管楽器、打楽器。一般に、管楽器は弦楽器より短期間で習得できるといった理由で、学校教育に向くといわれる。曲目はマーチなど吹奏楽曲、ポップスやジャズなど多様だ。
 だがオーケストラ曲を演奏しようとすると、不自由さを味わう。多くの曲は、管楽器で奏でやすいように調を変えられ、弦楽器では難しくない個所が管楽器では超絶技巧に変身したり、息継ぎの都合で旋律の切れ目が変わったり。

吹奏楽でクラシックの曲に出会い、オーケストラヘのあこがれを強める人もいる。
 NHK交響楽団の茂木大輔さんは、もっと気軽にオーケストラに挑んでみては、と提案する。
 高校の吹奏楽部で他の楽器に対抗して大きな音を出していたが、音楽大学では小さい音での繊細な表現が求められた経験を持つ。
「吹奏楽によって音楽への入り口が開けるのはいいこと。でも、オーケストラのための名曲を、作曲家が書いた音そのままに演奏することにも、特別な喜びがある。敬遠しないで、もっとオーケストラに取り組む人が増えるといいなと思うのです」

(9月14日水曜日 朝日新聞朝刊 文化総合面より 抜粋引用)

 どうです?
 前半はいいでしょう。現在吹奏楽はこんない盛り上がって熱いのだ、と言っているのですから。しかし、後半いきなり見出しから、

「敬遠せずオーケストラも」


 とは?
 吹奏楽をやっている人はオーケストラを敬遠しているのということかな?そんな話は聞いたことがないですよねぇ(一部にはそういう人もいるかもしれないけど)。
 内容のほうも、オーケストラより吹奏楽のほうが楽器の習得が楽、ちょっと乱暴な解釈をすれば「吹奏楽はオーケストラの不完全なもの。」と言っているようにも思えますねぇ。茂木さんのことばも、この流れで読めば「吹奏楽でオーケストラ曲をやるより、ちゃんとオーケストラでやりましょう。」となってしまいます。
 茂木さんの意見は、これはこれで間違っていないと思うのですが、この記事に載せると違った意味になってしまいます。
 「吹奏楽は熱い」とタイトルで言っていながら、吹奏楽を否定してオーケストラを賛美する文で終わる、、、。
 これでは「やっぱり吹奏楽よりオーケストラのほうが優れている。」と感じてしまうのではないでしょうか。

 吹奏楽というのは音楽演奏の編成のひとつですから、他の編成と比べて優劣があるものではありません。木管五重奏と木管八重奏を比べてどちらが優れているとはいわないでしょう。
 ただ、吹奏楽ではオーケストラ曲をやる場面も多いので「オーケストラの真似事」だと誤解されやすいのは確かですが。

 それでは、どんな記事になればよかったのか。僭越ながら私が途中から書き直してみましょう。

・・・息継ぎの都合で旋律の切れ目が変わったり。
 しかし、そんなハンディキャップを乗り越えてされる演奏は、ときにはオーケストラの演奏を凌ぐほど、全く素晴らしいものがある。まさに「吹奏楽、侮るなかれ。」だ。
 残念なことにベートーヴェンやシューベルトの時代には現在のような吹奏楽はなく作曲もされていない。つまり、吹奏楽でベートーヴェンの曲を演奏してみたいと思うとき、オーケストラ曲から移し替えることがもっとも近いことになってしまう。もし、ベートーヴェンたちが吹奏楽を知っていたらどんな曲を書いただろうか。
 現代では作曲家は吹奏楽のために多くの優れた曲を作曲している。
 いままで吹奏楽を耳にされなかった人たちも、これから吹奏楽にも目を向け耳を傾けてみたらどうだろうか。きっと、その価値はあるはずである。

 ううう、われながら駄文、、、、
 やはり新聞に載るような記事を書くのは難しいですね。

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