第12話 嫉妬

 
 冬子が解放された。

 あの廃駅で拘束されてから三週間ほどしてからのことだった。初日から冬子はずっと遊達とは違う部屋に閉じ込められていて、口を利くどころか姿を見ることもできなかった。だから冬子がその間、どんな処遇を受けていたのかわからなかった。薄荷は再三、泉野に冬子と会わせろと要求していたが泉野は困った顔をしてやんわりと断り続けていた。

 きっと泉野は口にはしないが、本来なら冬子を殺すつもりだったのだろう。猫が発砲によって殺された。その事実をもし冬子が軍に話せば、そこからレジスタンスの存在があかるみになる。

 猫を撃った兵士を処罰し、冬子の口を封じるのが一番安全だ。

 なのに、泉野は冬子を生かしている。

 冬子が無事なのは嬉しいが、遊には泉野が何を考えているのかわからなかった。

「はぁ、もうそりゃ、大変だったよ。住所から家族構成から全部言わされるし、常に誰かが監視してるし、もうあたしにはプライベートなんてものはないのです」

 久し振りに薄荷と遊の前に現れた冬子はそんな調子で割とあっけらかんと自分の身の上を話す。少し頬がこけてやせていたが、少なくとも表面上は元気そうだった。

 三人で外出することが許されたので、外を歩くことにした。もちろん兵士が二人、五メートルほどの間隔をおいてついてくる。うっとおしいが仕方が無い。小屋を出て例の獣道を歩いていく。久し振りの陽の光が眩しいのか、冬子は右手を額の位置にかざし目を細める。

「シャバの空気うめ――っ!」

 そして、いきなり叫んだ。

「すごいね、笹倉さんは」遊が半分呆れ顔で笑う。

「ん? 何が?」

「だって、あんな目にあってたのに、そんなこと言えるなんて」

「そんなことないよ。これでもかなーりツラかったんだよ? もう家には絶対帰さないって言われちゃうし、男の人は皆怖いし。あ、泉野さんと友哉くんは優しかったけどね~」冬子は木漏れ日の下で歯を見せる。「でも、嘆いても悲しんでも何も変わらないじゃない。だったら笑い飛ばすしかないでしょ~。んで、あたし達は今、どこに向かってるの?」

 三人の中で真ん中にポジションをとっている冬子が左右の遊と薄荷の顔を交互に見る。遊は特に何も決めてはいなかった。

 というか、ここは観光地ではない。特に物珍しいものは何もない。

 海か墓かもしくは――

「演習場」と薄荷が答えた。「僕、泉野に呼ばれたから顔を出さないと」

「演習場? それって怖くない?」冬子は早くも怯えている。

「遠くから見てるだけなら平気だと思う。的に向かって機銃を撃ってるだけだから」遊はフォローのつもりでそう言った。

「機銃?! 怖っ!」

「怖くないよ。ただの訓練だもん。ね、遊」

「あ、う、うん」

 遊は薄荷の方を見ないでに返事を返す。

 隆弘の墓の前で一方的に薄荷を怒鳴った日から、遊は薄荷と上手く話せなかった。薄荷はまったく気にしていないようだが、遊はどう薄荷と接してよいかわからない。距離感がつかめない。

 自分はどうすべきなのだろう。

 どうしたいのだろう。

 そこまで考えて遊はいつも思考を止めてしまう。

 答えを出すのが、怖い。

「あ、ここ降りるよ」

 薄荷の声に足を止める。薄荷は背丈の高い草むらを両手でかきわけて獣道をはずれる。結構急な坂を危なげなく駆け下りていく。

「え? こんな道ないトコ通るの?」

「隠してあるから。軍に簡単に見つかる場所には作らないよ」

「あ、そっか――ひゃっ!」

 転げ落ちそうになった冬子の腕を遊はすぐに掴んだ。「前見ながらしゃべればいいよ」遊はそのままの姿勢で冬子が体勢を整えるまで立ち止まっていた。

「ご、ごめん。ありがとね、南野さん」

 注意をしたそばから冬子は屈託の無い笑みを遊に向けた。

 しょうがないな。遊は苦笑した。

 冬子が転ばないように気をつけながらしばらく下ると傾斜はだんだん緩やかになり、やがてまた平地になった。しかし、視界を遮断する草はその勢力を増していてもはや緑色の迷路のようになっている。普通ならこんな場所をあえて歩く人はいないだろう。でも、注意して見ると人の通った形跡がある。薄荷はそれをたどってすいすいと道を切り開く。遊と冬子は薄荷のおかげで割りと楽に足を運ぶことができた。

「まだ遠いの? 薄荷くん」

「もうすぐ。火薬の匂いするから」

 遊も鼻から空気を吸ってみる。

 土と植物の匂いの中に微かに焦げ臭いような臭気を感じた。

「あ、来たね」

 少し先の草むらから泉野の声。薄荷は「うん」とだけ返事をして、声がした方向に移動した。遊と冬子もそれに続く。

 急に目の前でカーテンが開いたように景色が一変した。

 草は短く刈られ、学校の二十五メートルプールくらいの空間がぽっかりと草原の中に作られている。先のほうにはたくさの土嚢が積み上げられ、その前に白く塗装されたボロボロのマネキンが数体置かれていた。所々に黒いペケ印がある。きっとあれが的なのだろう。集まっている戦闘服を着た少年少女達がサイレンサーをつけた機銃を撃っている。

「ありがと。待ってたよ」

 戦闘服姿の泉野が寄ってきた。遊は無言のまま泉野を見つめ、冬子は「こんにちは」と頭を下げた。声が少し緊張しているのがわかった。

「何の用事?」薄荷は訓練中の子供達を一瞥してすぐに視線を泉野へ戻した。的が空くのを待っている子供達は物珍しそうに遊達を眺めている。興味のない遊は彼らを見ようともしない。

「うん、彼らにお手本を見せてほしいの」

「何の?」

「機銃の撃ち方」

 薄荷はもう一度、訓練兵の子達を見て「ちゃんと撃ててるみたいだけど」と返した。

「そりゃ、基本はちゃんと教えてるしトリガを引けば弾は飛ぶから撃てるよ。私が言いたいのは、そういうことじゃなくて実戦の緊張感みたいなモノかな」

「よくわからないけど、僕が撃ってみせればいいの?」

「うん。それでいいよ。あ、防弾ジャケットは一応着てね。使ってるのはゴム弾だけど」

「ん」

 薄荷は短く返事をして、受け取った防弾ジャケットを素早く身に着けた。泉野から渡された機銃を手にして訓練生の子供達の中へ割って入る。的を撃っていた子達も手を止めて薄荷を見た。視線が集中する中、薄荷はまるで箸でご飯を口に運ぶようにごく自然にトリガを引く。機械のように等間隔に時間をおいてトリガを引く。同じリズムで同じマネキンの同じ箇所に穴を穿つ。  淡々と行われる破壊。しかし空気が訓練生の時とは明らかに違っていた。薄荷の殺意が弾道になって描かれる。異質の雰囲気を周りに充満、拡大させながら薄荷はトリガを引き続ける。

「もう的が壊れちゃいますよ」

 遊がそう言うと、泉野は「そうね」と口元を歪めて薄荷にもういいよと声を投げた。薄荷はすぐにトリガを放し、銃口を下げる。訓練生の薄荷を見る目はこの短い間にすっかり様変わりしていた。感嘆、憧憬、驚愕、恐怖。そんなものが入り混じった感情が彼らの中でうずまいているのが遊にはわかった。

「南野さん、ウチの子達どう思う?」泉野が射撃場から戻ってくる薄荷に手を振りながら遊に尋ねる。

「真面目に訓練してると思います。学校では皆、こんなに真面目じゃありません」遊も薄荷を見ながら答える。「ですけど、彼らはちっとも怖くないです。たぶん戦闘回数が少ないんだと思います」

「うん、その通り。あの子達は軍には一度も入らずいきなりウチに来た子ばっかりなの。だから、南野さんや薄荷くんみたいに本物の兵士じゃないのよ」

「実戦で相手はゴム弾を撃ってくれません。残念ですけど、ここにいる子達では学校の子には勝てません。それは泉野さんならわかってると思いますけど」

「あははは、痛いトコつかれたな~。あ、お疲れ薄荷くん」

 泉野は薄荷から機銃を受け取り、薄荷を労う。

「暑~い」薄荷は防弾ジャケットをちゃっちゃと脱ぎ始める。額に薄っすらと汗を浮かばせ、顔を少し火照らせていた。薄荷は何度も手の甲で汗を拭う仕草をした。遊はパンツのポケットに手をつっこむ。指先がハンカチに触れた。

 薄荷、と名前を呼ぼうとして、

「薄荷くんって、すごいねー」一瞬速く、冬子がハンドタオルを持って薄荷の近くに駆け寄っていった。薄荷は笑顔で冬子と話を始める。冬子は薄荷の額を拭いていた。

「……」遊は無言でポケットから手を出す。もちろんハンカチは持ってはいない。

 何だか腹が立った。

 冬子よりも薄荷に対して。

 遊の動作と表情の変化を一部始終観察していた泉野はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。遊は泉野からぷいと顔を逸らして、もう一度ポケットに手をつっこむ。

 そして、ぎゅっとハンカチをにぎりしめた。