第4話 354
「戦力を均等化しプレイヤー間での不公平感を失くすこと、ゲームそのもののマンネリ化を防ぐこと、この二点を目的として随時兵士のトレードとセレクション、それに三年に一度のシャッフルが実施されるようになった」
今日の軍事は座学だった。
配ったプリントを淡々と読んでいるだけの授業だ。もう何度も繰り返し聞いてきた内容だから少しも興味は持てない。遊は頬杖をついたまま何となく教室の中を眺めた。ほとんどのクラスメイトは机につっぷして眠っている。当然だろう。覚えても何の役にも立たない知識だ。
どこの誰の都合で何が行われようと、私達は従うしかないのだから。
皆それを知っているのだ。
遊はあくびをかみ殺す。
空っぽの隣の席が目に入った。
薄荷の席。
例の風呂場の件以来、薄荷はほとんど教室に顔を見せなくなっていた。それは遊にとっても都合が良かった。遊は薄荷を避けていたのだ。嫌いになったわけじゃない。かなりショッキングな出来事ではあったけど薄荷に悪意がないのはわかっていた。ただ何を話せばいいのかわからない。何故男のくせにそんな格好をしているのかと聞きたい気持ちはもちろんある。だけど、それは単なる自分の興味を満たすだけの行為だ。
そんなことをしても仕方がない。
必要なことを必要なだけ話せばそれでいい。
それが正しい距離のはずだ。
授業終了のチャイムが鳴った。
クラスメイト達は大半が眠ったままだ。
白髪の教師は何も言わずにさっさと教室から出て行った。
遊はカバンを持って席を立つ。
唯一寝てなかった夏目が遊に視線を投げてきた。
遊も黙って夏目を見つめた。
転校して一週間。遊は薄荷をのぞいて口を利いた相手は夏目だけだった。たいていは夏目が遊に挑発的な態度をとり、遊がそれを受け流すような感じだ。遊は夏目のようなタイプは嫌いだ。殺したいほどではないけれど、できれば視界に入ってほしくないと思う。夏目の方はきっと殺したいと思ってるだろう。相手がその気なら躊躇はしない。
トリガ。
遊は右手の人差し指を軽く曲げた。
結局、夏目は何も言わずに他のクラスメイト達と同じように机につっぷした。
少しだけ夏目の背中を見つめ、遊は教室を後にする。
廊下を歩きながら天井を見上げた。ネズミ色をした何かのパイプが縦横無尽に走っている。こんなところも以前いた学校の校舎と同じなんだと遊は思う。窓から外をのぞいてみる。近くには民家の屋根が、遠くには霞んだ山稜があった。ここの方が少しだけ田舎みたいだ。
「何か、めずらしいものでも見えるかい?」
白衣を着た若い男が立っていた。
足音で気づいてはいたが、遊は気づかないふりをするつもりだった。話なんてしたくない。しかし、声をかけられたら仕方ない。遊は少しだけ男の方に向き直る。
「すごい目をしているね」そう言って男は微笑した。
「すごいって?」
「今にも僕を攻撃しようとしている。どうすれば効率的に殺せるかそんなことを考えている目だ」
「そんなことないです」
遊は表情を変えないまま口を開いた。正直なところ男の言う通りだった。相手が攻撃してこないと確信できるまでは敵として対応する。それが遊のデフォルト設定だからだ。
「まあ、最前線に来る子達のうち半分は君みたいな子ばかりだけどね。それぐらいでなきゃここに送り込まれて来る前に死んでるだろう。カウンタ100なんだって?」
「そうです」
「何年やってる?」
「一年です」
「そりゃすごい。優秀だ」
遊は微かに眉根を寄せた。この男に腹が立った。同じ兵士同士ならそうは思わない。でも、安全なところでゲームを楽しんでいる大人なんかに評価なんてされたくない。
「あなたはここの先生ですか?」遊はなるべく感情を出さないように質問した。
「違う、僕は保健医だ。もっともここにはロクな医療設備がないんでね、戦闘で傷ついて運び込まれても正直応急処置しかできない。僕のところに運びこまれた子達はたいてい死ぬ。だから僕は生徒皆に嫌われているんだよ。死神扱いさ。僕のせいじゃないのにね」
男は苦笑いを浮かべる。
「もし私が運び込まれたら、楽に殺してくれると嬉しいです」
遊はまた窓の外の景色を眺めていた。もう男に興味はない。
「……僕は人を生かすのが仕事だ。それはできない」
「そうですか」
正しい答え。でも教科書通りで血の通っていない答え。
「やれやれ、君とも仲良くやってはいけそうにないみたいだね。せっかく東雲薄荷から可愛い子が転入してきたと聞いて楽しみにしてたのに……」
「え? 薄荷から?」遊は男に視線を戻す。
「ああ、僕は彼の主治医だ。話す機会は多いさ。それがどうかした?」
「……いえ」
「やっぱり、彼のことが気になるかい? そうだろうな、色々と彼は特別な子だから。同じ部隊の子達に教えてもらわなかったの?」
「仲が悪いので」
遊の言葉に男は吹き出した。
「君は正直だな」
「そうでもないです」
「教えてあげよう。来なさい」男は勝手にそう決めて、すたすた廊下を歩き出した。遊は少しだけ考えて男の後をついていくことにした。
「少なくとも君が戸惑わない程度には説明するのが、ここの誰かの責任だろうからね」
男は遊の方を振り向かずにそう言った。
責任なんて言葉、久し振りに聞いたと遊は思った。
***
男の提案で購買部でジュースを買って飲みながら話すことにした。遊は紙パックの牛乳を、男はコーヒー牛乳を買った。自販機の周囲には頑丈さだけがとりえのような木製のベンチがあって、男と遊はそこに腰掛けた。
「僕がここに来たのはもう五年ほど前だ。東雲薄荷はその頃からもういっぱしの兵士だった」
「それは変です」遊は即座に疑問を投げる。「兵役は十三からです。薄荷は私と同じ学年です。計算が合いません」
「君の言うとおりだ。でも、君も知っての通り社会なんていいかげんなもんだろう? 現場の都合でルールなんていくらでも破られる。志願兵が足りない? ならどこかから適当な子供をさらって兵舎にぶちこんでしまえ、そういうヤツがいても少しも不思議じゃない。そうだろう?」
「薄荷はさらわれて、ここに無理矢理入れられたってことですか?」
「今のはたとえ話さ。本当のところは誰も知らない。東雲薄荷も言っていた『気がついたら機銃を抱いて寝てた』ってね。いったいいくつからここでゲームに参加していたのかは今となっては調査のしようもない」
遊は男の話について考える。ひどい話だ。だが、めずらしいことではない。素性のわからない子達が最後の居場所としてここに到達するのはむしろ当然の成り行きだ。水は常に低いほうに向かって流れていく。ここは子供達が生きていくために流れ着く最下層だ。
「それと東雲薄荷は幼い頃、虐待を受けている」男は紙パックのコーヒー牛乳を飲み干すと、紙パックをゴミ箱に放った。「まあ年端も行かない子が戦場に行けばある意味当然の結果だけど」
遊は何も言わず息を吐く。
「そこで彼は女装を強要された。たぶん色々酷いことをさせられたんだろう。詳しくはさすがに僕も聞けなかった」
「ロクでもない変態がいて、薄荷が犠牲になった……?」
「だろうね」
遊は右手の人差し指を曲げたくなった。
「東雲薄荷は女性でいないと仲間から攻撃されるとずっと思って生きてきた。その時彼を攻撃した仲間はもう誰一人生きていないのに、彼は女であることをやめられない。やめようとすると発作を起こして倒れてしまう。身体が男であることを受け付けないんだよ。僕は彼をどうしたら治療できるかわからない。いやたぶんそんな方法はないだろう。定期的に精神安定剤を与えるだけだ」
男は白衣から煙草を取り出し火をつけた。
遊は煙草は嫌いだったが黙っていた。
「東雲薄荷の心は壊れているんだよ。他の子達は彼がいつも笑いながら敵を殺すと言っている。とても嬉しそうに笑いながら機銃を撃つと気味悪がっている。彼は人間らしい感情を失くしてしまった。兵士として優秀でなかったら、いつ軍に処分されてもおかしくない。マトモじゃないんだよ」
男は吸殻を床に落として踏み潰した。
「話は終わりだ。君も彼には気をつけなさい」
遊は返事はしない。
男は遊を残して購買部を出て行った。
***
「暑っ……」
昇降口を出た途端、夏の太陽が攻撃してきた。
校舎の中は高目設定とはいえ一応空調が効いていたが、校舎の外は眩暈がするほどの温度と湿度だ。遊は日陰を選んで校門へと歩いていく。それでも最後はだだっ広い校庭を横断しないといけない。校庭は日差しを受けて白く輝いていた。ゆらゆらと校門のあたりの景色が揺れている。遊には校庭が巨大なフライパンのように見えた。
焼かれたくないな……。
遊は手の甲で額の汗を拭う。
瞬間、視界の端に人影が踊った。
目が自然に追う。
プランターを抱えた薄荷が倉庫の影から飛び出した。
薄荷はいつもの白いワンピースに麦藁帽子という格好で二つのプランターを両脇に抱えて飛び跳ねるように走っている。とても楽しそうに見えた。ここからでも笑い声が聞こえてきそうだ。
遊は薄荷の姿が消えるのを待つことにした。
白衣の男の忠告に従うわけではない。ただ遊は元々薄荷に限らず誰とも仲良くするつもりなんて最初からなかった。薄荷は可哀想かもしれないけど、自分だって誰かを好きになれるほど恵まれてなんかいないのだ。だから、懐かれたって困るのだ。
そこまで遊が考えた時、薄荷が転んだ。
校庭の真ん中で白いワンピースの裾が派手に舞い、土煙があがり、プランターが転がり、風に飛ばされた麦藁帽子が遊のところまで飛んできた。
遊は自分の真横に落ちた麦藁帽子を恨めしそうに眺めた。
もう見なくてもわかっている。
きっと、今頃薄荷はこっちに例の無邪気な笑顔を向けているのだ。
遊は麦藁帽子を拾うと憮然とした表情をして、薄荷のほうへと歩いていった。
「遊、ありがとーっ!」
薄荷はとても嬉しそうに目を細めて遊を見ている。遊の予想通りだった。だが一つだけ予想と違うことがあった。薄荷が頬を赤く腫らしてしたのだ。
「受身とらなかったの?」
遊は麦藁帽子を手渡しながら、薄荷に尋ねた。
「とったけど?」
薄荷は首を傾げる。
「ここ、腫れてる」遊は自分の左頬をつつく。
「ああ、これはね」ワンピースについた土を払いながら立ち上がって薄荷が笑う。「昨日イジメられた時の怪我だから」
遊の麦藁帽子を差し出した手が一瞬震えた。
「……誰が? 体罰による制裁は重大な違反行為のはずだよ」
「誰って……皆かな? 僕は皆に嫌われてるから」あっけらかんと薄荷は答える。そして、「最前線には軍規も何もないよ」と付け加えた。
「だったら、そいつらの腕くらい折ってやったの?」
「そんなことしないよ」
「やり返しなさいよ。あんたここでは誰よりも強いのよ? カウンタだって三桁いってるんでしょ?」
「354」
「ほら、とんでもない数じゃない。あんたがその気になったら一人で小隊一つくらいつぶせるのよ」
「それは戦闘の時の話だよ。普段は機銃持ってないじゃん。それに強いからっていばったりしたらますます嫌われちゃうもん。友達になれないよ」
「イジメるやつらなんかと友達になることないでしょ」
「でも僕はなりたい」
「……馬鹿みたいだよ。それ」
遊は薄荷から目を逸らして吐き捨てるように言った。
頭の中に娼館の養父に乱暴された夜のことが浮かぶ。
馬乗りになった養父。
叩きつけられる拳。
泣いて何度も謝る自分の声。
あのときの恐怖は今でも遊の心に深く刻まれていた。
力ある者が無抵抗な者をモノのように扱い、身体も心も一方的に傷つけていく行為。
あれにくらべたらお互い武器を持って殺しあえる今の方がずっとマシだ。
「友達になって」
薄荷の声に遊は我に返った。
撃たれた、と思った。
遊は息を止めて、唾を飲み込む。
心臓の鼓動が速くなったのを感じる。
手のひらが汗をかいている。
「遊、友達になって」
薄荷は立ち上がって、右手を差し出した。
遊はうつむいた。
薄荷の顔を見るのが怖い。
逃げ出したい。
「ごめん」遊は手にした麦藁帽子を薄荷の胸に押し付けるようにして返す。「そういうの作らないことにしてるから」
薄荷を見ないまま、せいいっぱい平静を装って言葉を紡ぐ。
「……そっか」
ぽつんと薄荷の声が落ちた。
遊は別れも告げず、その場から駆け出す。
暑いのなんてとっくに忘れていた。
さっさとこの場所から姿を消したい。
仕方ないんだよ。
これが正しい距離なんだよ、薄荷。
遊は何度も心の中でそう繰り返す。
校門までの距離が、ひどく遠く感じた。